"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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豊浦 (室蘭本線) 1995

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山手線渋谷のような大都市電車駅にせよ、高山本線打保のごとき山間の小駅にせよ、曲線上に存在する停車場には、それがゆえの独特の情緒が感ぜられる。直線のそれは機能が先に見えてしまうからだろうか。
鉄道にしてみれば、それは無いに越したことは無く、仙台市交通局の運営する地下鉄道線のごとくに全駅の直線上設置を実現して、運転台を右配置とした例すらある。

ここ豊浦の下り方はR800の緩い左回り曲線で第二茶志内トンネル入口に接し、その構内に嫋やかな印象を与えている。
これは、洞爺(当時は虻田と称した)まで断崖直下を海岸線に沿うように敷設されていた開業時の線路を、災害対策として山側に穿った隧道で通過する新線に移行した際に生じたもので、それまではほぼ直進して構内を抜け旧線の第二茶志内トンネルに至る線形であった。切替は1968年9月28日と記録される。

けれど、この現在線抗口への切通し状の曲線用地は、新線工事開始前の旧版地形図でも読み取れるのである。これは、長輪線として旧線を建設時の第二茶志内トンネルが、入口側抗口をこの位置に工事を進行していたからに他ならない。ところが、掘削まもなくに温泉沃土状の軟弱地盤に遭遇し、やむなく直線設計であったこれを海側に迂回する線形とした結果、抗口位置が変更されたのだった。
新線は、この際に放棄された用地と抗口を利用している。本来ならば、この駅は開業時から下り方へ緩く弧を描く構内を持っていたはずだったのである。
余談だが、新線切替後に旧線を線形改良する形で複線化工事が開始され、この際に構内から旧第二茶志内トンネル出口までの区間は、迂回にてS字状を描くことになった線形が、ほぼ原設計どおりに改築された。したがって、新しい第二茶志内トンネルは、旧第二茶志内トンネルをその内部で横断し、入口側抗口が本来位置となって新線と並んだ訳である。これを上り線とした複線の使用開始は1970年の6月30日であった。

噴火湾は外海に比して水温の高いと言われているものの、それでも南風に湿潤な大気が押し込まれれば海霧を生ずる。霧に包まれた豊浦の街も滋味のあるけれど、写真は線路端に限られてしまう。
この日は午後になって海上に霧を生じて、やがてそれは海岸線に達し、やむなく駅に引上げたのだった。

写真は、第二茶志内トンネルを出て場内に進入する8002列車<トワイライトエクスブレス>。
海霧はここへも流れ込んで来る。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f8 FujiSC42 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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