"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

静狩 (室蘭本線) 1993

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長万部から静狩までの区間の、函館線に所属する長輪線としての開業は、1923年12月10日と記録される。
勿論、既に開かれていた静狩金山の資材輸送にも活用され、長万部市街地以上に成長しつつあった鉱山街区との人的移動に利用されたであろうが、直接的な関連は薄く、あくまで工業都市室蘭の函館/本州線への短絡線建設を目的とした工事の最初の開通区間であった。
この区間は、1919年3月に同年法律21号により長万部-輪西間が北海道鉄道敷設法第二条の予定線に追加されると、4月には測量に着手、7月に線路選定を終えて、11月に工事に着手している。原地形が海岸沿いの平坦な原野であり、ほぼ直線の線形が選定されたにもかかわらず、6.6マイルに4年の工期は、泥炭地での工事に手を焼いた結果と見て取れる。

この10キロ610メートルには、1943年9月25日に旭浜信号場が設けられた。アジア太平洋戦争末期に沿岸の制海権を奪われたことによる海上輸送の陸運転換に際して設置された一連の信号場のひとつである。その位置は、起点5K300Mと見事に中間地点が選ばれている。前後とも原野の直線/平坦区間で、両端駅からの運転時分が等分となる位置を選定した結果であろう。
ここは、客扱いも行っていたらしく、1969年9月20日付での複線使用開始にともなう信号場廃止以降も仮乗降場として2006年まで存続したのは、ご承知のとおりである。

起点9キロ付近のR3000左回り曲線にて、やや内陸側に寄ると国道37号線の静狩跨線橋に至る。静狩の直前である。蒸機時代には煙の無い区間にて注目のされなかったものだが、近年では定番のポイントで、同業の鉄道屋に出会わぬことは稀となった。僅か数メートルの高度でも平坦な区間にあっては貴重な俯瞰ポイントである。
ここで、早朝の寝台特急群を撮ろうとすれば、かつては長万部からの始発を静狩で下車してから、1列車/8001列車まで30分程の余裕しか無く、それこそ走るように戻って盛土斜面を直登したものだったが、海峡線内での新幹線工事関連でそれの時刻の繰り下げられた現在では余裕である。

列車は、8007列車<エルム>。
この頃、ここを6時台から9時台にかけて最大6本の寝台特急群が下っていた。
札幌終着が12時を回り、そのしんがりを務めたこの列車は、天候や光線の安定する日中の通過となって安心して撮れた。
現在と異なるスペース感は、線路山側の通信線柱が線路から離れた位置に在って目立たぬせいであろう。それの移設後は、ややうるさい上に窮屈な印象がある。

[Data] Nikon F4s + AFNikkor180mm/F2.8ED  1/500sec@F8  Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhptpshopLR3 on Mac.

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