"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

遠軽 (石北本線) 1974

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戦後に、公共企業体として再発足した日本国有鉄道は「国民の足」を標榜しただけあって、そのサーヴィスは至れり尽くせりであった。近年の民営会社のごとくに、4両組成の客車列車を、ほぼ定員が同じだからと2両のロングシート電車に置替えたり、地方線区の線路保守費の低減を理由に最高運転速度を抑制して、結果到達時分の延伸を招いたりはしなかったのである。まして、石北本線で事例の在ったような、単行気動車による運行で変則下校時の高校生を積み残すような失態は考えられぬのであった。

その石北本線では、白滝方面から遠軽への朝夕の通勤通学輸送に(勿論、現在より乗客は遥かに多かったのではあるけれど)、この区間での増結を施行していた程である。
1973年10月1日改正ダイヤで、朝方に白滝6時41分発の混合523列車と夕刻18時26分に遠軽を出る混合532列車がそれにあたり、要員区とされていた遠軽客貨車区に常駐した旭川客貨車区のオハ/オハフ62の2両が上川-遠軽間の編成に増結されていた。532で白滝へと向かった編成は、30分近い停車時間に解放されて牽引機(この当時はD51形蒸機であった)により側線に押し込まれて滞泊(*)、翌朝に523の牽引機(これもD51である)に引き出されて編成前位に連結、遠軽へと戻る運用であった。
これを気動車でなく客車編成でやっていたところが「至れり尽くせり」に思える。
(*) - 余談だが、この頃ここでの駅寝の際に、この滞泊車で寝せてくれ、と頼み込んで見事断られたことがある。まあ、当然ではある。

北見方でも、朝に北見からの522列車に遠軽まで、北見客貨車区のオハ62が1両増結されて、これは昼の貨物列車に連結されて北見へと戻っていた。もちろん、これにも乗車可能で、「貨物列車」による旅客営業は道内では歴史的に珍しい事例ではない。

写真は、夕方の運用に向けて遠軽で昼寝中の白滝回転運用車である。このオハ62 43は、UF12型台枠を持つ木製車オハユニ25420を1952年に旭川工場にて鋼体化したもので、以来四半世紀あまりを生き延びて1980年11月に用途廃止とされている。
ところで、床下に「温気暖房器」と表記された収納箱が見える。これこそ、客車暖房としての石炭ストーブを追放した機器であり、その搭載は石北本線運用車の特徴であった。この機器については以下に詳述する。

[Data] NikonF2A+Ainikkor105mm/F2.5 1/250sec@f8 Non filter Tri-X(ISO320)


『温気暖房機』が、国鉄における公式の機器名称である。
軽油燃焼式の車両用暖房装置であるこれは、一般にはその開発元であるドイツWebast社による、エンジン独立型暖房機(すなわちエンジンの稼働を要しない暖房装置を云う)の総称的な商標名-ウェバスト(ドイツ語読みならベバスト)ヒータとして知られている。
国内では機械式内燃車に採用されて初期の液体式内燃車へ普及し、これをライセンス生産した五光製作所による「五光ヒータ」の方が通りが良いかもしれない。他に三国商工によるライセンス生産の「ミクニウェバスト」が在ったけれど、検修現場などでは「五光ヒータ」と通称されていたようである。
これは、初期の内燃車ばかりでなく、後年に一部の客車にも装架されて、それの石炭ストーブを放逐したのだった。

戦後の国鉄は、一貫して地方線区への内燃車の投入などを通じて、そこに残る混合列車の客貨分離を推進した。しかしながら、1960年代後半に至っても、客貨ともに輸送量の小さい線区にそれは残存し、道内では石北本線と釧網本線に多くが設定されていたのである。
客車の暖房は、機関車からの蒸気供給を基本とするものだが、この両線区の例では、途中駅での貨車解結の利便から、それの組成を旅客車の前位方連結としていた関係上、蒸気暖房が原則的に使用出来ず、客車暖房は永く石炭ストーブ(その形状からダルマストーブと呼ばれた)によっていた。石北線では、加えて遠軽にて進行方向の変わる事情もあった。
これらの客車は、屋根に排煙管(煙突である)を設備し、冬期には一部の腰掛けを撤去しての設置のため車体に記された定員表記が夏冬で異なっていたものである。

70年前後のことだが、これを代替するものとしてウェバストヒータに白羽の矢が立てられ、両線区の運用客車に順次搭載工事が行われた。これら列車の牽引機の無煙化とほぼ時期を同じくして、それは完了したと思われる。
内燃車の暖房も温水式に移行して久しく、この軽油燃焼式の暖房装置自体も既に陳腐化しており訝しく思ったものだが、新規投資の難しい老朽車への工事であり、またそれ以外に代案も無いゆえであったのだろう。おそらくは、この頃には用途廃止されていた機械式内燃車の廃車発生品と推定している。

これの搭載車は、総数は少ないのだけれど、石北/釧網本線と同様の事由に依る名寄客貨車区の深名線専用車(→北母子里 (深名線) 1973)や、内地での弘前運転区の五能線運用車の他、これも北海道内配属車に限らず、牽引機や組成方/運用などから独立暖房を必要とした一部の荷物車や郵便車にも装架例がある。
興味深いのは、工場入場車回送時の控え車として品川客車区に永く残されていたナハフ11 2018/2021/2022の3両で、当然暖房引き通しなどの無い編成組成に乗務員からの苦情があって、車掌室にのみダクトを通した温気暖房機が設置されていた。
客車の世界では広く普及したものでないためか、その趣味的研究の谷間にあって、装架車全車は把握されていないようである。

その仕組みは、原理的には現在家庭でも使われる温風暖房機(FFファンヒータ)と同様で、軽油の燃焼にて生じた温風をダクトにて客室に送り込むのだが、直接に温風を室内に放出するものではなく、客室床上に引き通したダクト内を循環させて、それに設置の放熱フィンを通じて熱交換するのである。
よって、金属板のカヴァをともなったそれが窓下床面に引き通される客室内の造作は、蒸機暖房や温水暖房と変わりない。
釧網本線列車での経験では、通常なら十分な暖房だが、外気温度がマイナス10度を割り込む程になると俄然効きは悪くなり、容量不足を露呈していた。極寒地向けには、やはりストーブに軍配が上がる。
乗り込んだ際の、微かな石油臭も記憶に残っていて、これは懐かしい。
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