"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

美留和 (釧網本線) 1979

biruwa_02-Edit.jpg

この日の美留和への下車事由は、前の冬の「撮り残し」のカヴァーらしい。当時のメモを見るとそう読める。
ネガをコマ順に辿れば、川湯方の防備林のサミットへ向かうで無く、一日の大半を駅近くで撮っている。いったいどのコマが「撮り残し」ていたものなのか、一向に思い出せない。

この頃の美留和は、貨物扱いは廃止されていたけれど要員の配置駅で、上下本線に相対式の乗降場と上り線(東釧路方面列車運転線)側には待避線も設備していた。もちろん1930年の開業以来と思われる本屋も健在であった。これは、近隣の南弟子屈や五十石とほぼ同設計による同時期の建築で、丁度この1930年に鉄道省工務局より通達の出された『小停車場本屋標準図』(昭和5年10月6日達第875号)に明示の1号型(駅舎面積57.5平方メートル)と2号型(同68.5平方メートル)の折衷形を先取りしたように見える。
建築時期が同期であれば老朽化も等しく去来して、その時期が悪かったとするべきか、この3駅は、今や釧網本線にそれらだけのダルマ駅である。

1984年2月改正でのヤード系車扱列車の全廃にて大量の余剰を生じた車掌車の駅施設転用は、おそらく国鉄部内の(所属はわからぬが)誰かが進言して、幹部がそれに乗ったものだろう。つまらぬことを言い出したものである。
その設置された環境に如何にも不釣り合いな塗色をして「カラフル」「楽しい」と評したり、郷愁の対象として珍重する向きもあるようだが、当時の経緯に疎いがゆえの誤謬である。
そもそも、地元や利用者には実に失礼な施策であったと思う。現実に歓迎はされておらず、ここ美留和のように、近隣の小学校に依る郊外学習を兼ねての維持や利用の行われている例は稀であり、その多くは荒廃の一方にある。

写真は、速度を落として美留和を通過する1694列車。
蒸機末期に本務機に先駆けてDE10への置替の行われた補機運用は、蒸機のそれを踏襲して弟子屈-緑間の後機だったけれど、本務機の無煙化後には、総括制御を生かして重連による通し運用に変えられていた。全線で重連運転の見られるようになったのは、この頃からである。すんなりとした移行は、蒸機時代より補機も含めて釧路機関区の運用であり、標茶機関区も乗務員区化されていて組合の抵抗も小さかったゆえと思われる。

[Data] NikonF2A+Ainikkor50mm/F1.8 1/250sec@f11 Kodak 2Afiler Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on MAc.
関連記事

コメント

ダルマ駅

こんにちは。

ダルマ駅は味気なさと共に荒廃が目立ちますね。地域によって温度差もあるようですが・・・。

宗谷本線の「筬島」はご多分に漏れず荒廃したダルマ駅だったのですが、
最近壁屋根をサイディング材で覆って見た目良くなったようです。

味気なさは変わりませんが、最近JR北海道の地元に対する意識が変わって来たのでは、
と地元では言われているようです。

  • 2012/10/21(日) 10:18:36 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: ダルマ駅

こんばんは。

そうですか。筬島は。
あのダルマ駅と云うのは、地元を小馬鹿にしているとしか思えませんので、
鉄道当局も気にはしているのでしょうか。
どんな小さなカプセル駅舎でも構わないのですが、
地元の人々が愛着の持てる、その土地を意識した良質のデザインの欲しいところです。
この点で、東海旅客鉄道のそれには見るべきものがあるのですけれど、
この会社は、改築と同時にトイレを廃止してしまうのです。
利用者を人と見ていない訳ですね、新幹線が自慢のこの鉄道会社は。

  • 2012/10/22(月) 00:25:36 |
  • URL |
  • wondergraphics #-
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/248-3f4be7ae
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad