"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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南稚内 (宗谷本線) 1985

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写真は、15年を隔てて[番外編 10] 南稚内 (宗谷本線) 1970とほぼ同一地点から撮っている。
旭川起点254K付近から送電線の保守用と思われる草道の通じている丘である。
先の記事にも書いたように、「明治44年稚内大火」にて樹木を失った丘陵地帯を、屈曲する犬師駒内川の小さな流れ沿いに線路の敷設されたこの区間では、見通しが効くゆえにどの丘もポイントとなりそうなのだったが、丘陵下の湿地帯と背丈を超えるクマザサがこれを拒んでいた。
ここに通じていた草道は、さらに送電線下を原野の奥へと向かっているのが見て取れ、それが何処かの丘の斜面に達している可能性を否定出来ぬものの、それもまたクマザサの海を往くもので、この位置よりも深く辿ることはしなかった。

ご存知の方も多かろうが、近年になってWeb上に全国の空中写真が公開された。1974年から78年にかけて国土地理院が全国をくまなく撮影したもので、道北方面は77年に実施されている。これを閲覧する限り、やはり原野の道は在ったのである。稚内高校の周辺は宅地開発の後とて判然としないけれど、件の送電線下を辿れば、やがてその方向からの小径に直交して、丘陵の斜面ないしその縁へと近づけそうに見える。さらにグーグル社による現在の衛星写真となれば、その道は造成された宅地内を通過してより深く続いていて、迂回路となるけれど、252.5キロポイント付近の斜面にすら到達で来そうである。
深いクマザサをかき分けての行動は無いに越したことは無く、70年当時はいざ知らず、その後にも幾度か訪れつつも送電線を辿らなかったことが、些か悔やまれる。

列車は、302列車<宗谷>である。
前にも書いたことが在るが(→山軽-安別仮乗降場 (天北線) 1985)、この春のダイヤ改正での、宗谷/天北線昼行急行の客車置替は、本当にサプライズだったのである。
このポイントで待てば、この後に郵便車/荷物車にオハフ51の1両のみの組成となった324列車も健在ではあったのだが、それでは天北線内での303/304列車<天北>に間に合わぬゆえ、諦めて移動するのが、この頃の道北撮影の定番スケジュールになっていた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8  1/500sec@f11 Kodak No,12 filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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