"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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大夕張炭山 (三菱大夕張炭礦大夕張鉄道) 1972

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1960年代後半と云えば、国鉄/私鉄/専用線を問わず道内の運炭鉄道は、その大半が健在であった。
ところが、新参者の撮影者は、ご多分に漏れず幹線列車に眼を奪われていたのである。それでも、鉄道ファン誌の掲載記事に触発されて、夕張線へと向かったこともあるのだが、始めて見る、谷の斜面を埋め尽くす炭住街とあちらこちらで黒煙を噴き上げる蒸機の光景に圧倒され、戸惑うばかりの記憶が残る。この頃には、それを画角にまとめあげるだけの力量は無かったのである。
根室本線の富良野-釧路間を除けば、まだまだ全道が蒸機運転であったこの当時にあっては、運炭線をいつしか後回しにするうちに、そこは無煙化されるばかりか、70年代に至って廃線も続出したのだった。

大夕張鉄道も、この数日前に訪れた日曹炭坑の専用鉄道(→一抗 (日曹炭坑天塩砿業所専用鉄道) 1972)で、 大夕張抗の南抗へのスクラップアンドビルドの噂を聞きつけてスケジュールに急遽組み入れたのだった。例によって全線を乗って、明石町-千年町間のトレッスル橋であった旭沢橋梁に目をつけたのだけれど、長い運炭列車を捉えられる足場が見つからずに、結局は3キロ程先の大夕張炭山の構内に向かった。

この鉄道については、ここの旧住民の方によるディープな総合サイトふるさと大夕張や、詳細な年表を伴った三菱大夕張鉄道58年史などを始めとした多くのサイトが開設されており、ここに語ることは無い。

写真は、大夕張炭山構内の最奥部、巨大なホッパ設備の尽きるあたりである。16時13分発の混合6列車の牽引機が客車を従えて待機していた。客車は清水沢方連結が定位ゆえ、このままホッパ前部まで進んで、そこから満載となった石炭車編成を引き出し、駅乗降場に据え付けて発車時刻を待つのである。
機関車No,3は、1937年日立製造の自社発注機で国鉄C56の設計図面を流用したテンダに特徴があった。国鉄における9600形式の製造終了後の新製は、その線路規格が新鋭D51の入線を許さぬゆえである。続く客車も、これも自社生え抜き、同じく1937年日本車輌東京支店によるナハ1形式ナハ1を緩急車化したナハフ1と見える。

混合6列車は、清水沢への旅客扱いのある最終列車で、もちろんこれに乗車して大夕張を後にした。
この日の早朝、岩見沢で夜行<大雪>を捨てて以来、あれほど群れている観光客/旅行客をまったく見かけず、当時の夕張はそれとは無縁のところだったのだ。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor5cm/F1.8 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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コメント

大夕張

こんばんは。

大夕張鉄道ですか。

花井正弘氏の「私の夕張」に触発されて訪ねましたが、

一部廃線後の南大夕張までしか行っていません。

SLもさることながら、出所不明の怪しい客車がゴロゴロしていた時代の運炭鉄道は、永遠の憧れです。


  • 2012/10/11(木) 22:52:30 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 大夕張

こんばんは。

この時は、急遽決めた大夕張行きでしたので、なんの準備も無く、さらっと覗いた程度でした。
いつかもう一度と思う間もなく、翌年には肝心の南大夕張以北が廃止されてしまいました。

そのスジの方々によると、ゲテモノならば羽幌炭礦鉄道とか尺別鉄道のようです。
ここは比較的素性の良い車両ばかりでした。
この時も、機関区への側線脇で倉庫代わりの二軸客車ハ2と思われる廃車体を見ましたが、
端正な外観に見えたものです。

  • 2012/10/12(金) 01:44:14 |
  • URL |
  • wondergraphics #-
  • [ 編集 ]

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