"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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北浜 (釧網本線) 1968

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昨年のこと、花輪線の大館行きに乗車の節、とある小駅から大勢の団体客の乗車があった。閑散としていた車内に立ち席となる程の人数だ。その会話から、彼らがすぐにバスツアーの客と知れた。
鉄道ブーム、それもローカル線ブームと聞き及ぶが、それへの乗車がバスツアーの行程に組み込まれる程のものとは、思わずにいた。
ほんの三駅、乗車時間にして30分に満たない区間の出来事だが、シーズンが限られるとはいえ、年間ではそれなりの日数であろうから、鉄道にしてみれば手数のかからない増収である。
そもそも鉄道移動は、観光手段のひとつであって、自体目的化することは、裏を返せばそれだけ彼らに乗車機会がないことを意味し、鉄道衰退の証みたいなものだが、それが増収をもたらすのも皮肉な気がする。
ともあれ、そこの鉄道の本来の利用者にとっても、(鉄道を残してゆく、と言う意味において)悪いことではないだろう。

近年、北浜駅も駅自体が観光対象化しているようだ。
おそらく、ここを乗車駅ないし下車駅として釧網本線乗車を組み入れたバスツアーも存在しているに違いない。
68年当時は、濤沸湖や小清水原生花園観光への下車駅は急行も停車した隣駅浜小清水駅、あるいはシーズン中に設置される原生花園臨時駅で、この駅は静かなものだった。
まだ、Discover Japan キャペーンの前夜であり、カニ族と呼ばれた横長のキスリングを背負った旅行者を、ここでも見かけるようになるのは70年を過ぎてからのことだ。

9月半ばというのに風の冷たい日で、空気はとても澄んでいた。
北浜の撮影地は駅至近のポイントばかりで、撮影を終えると駅に戻り、誰もいない待合室で、次の列車まで波音を聞きながら過ごすのは、心地良い体験だった。

ご覧の通り、貨物側線はもちろん、海側の側線や待避線にまで、その有効長いっぱいに貨車が留置され、駅前には農産物の貯蔵倉庫も見られる。今では想像も出来ないくらい、鉄道輸送が主役の時代だったのだ。
列車は、混合635列車釧路行き。常に貨車が前位に連結されるのが釧網線の混合列車の特徴だ。

[Data] NikonF+AutoNikkor5cm/F1.4 1/125sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by Photoshop LR


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