"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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花石 (瀬棚線) 1973

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瀬棚線は、C11の牽く貨物列車の走る道南の地味な線区ではあった。
けれど、前回記事(美利河 (瀬棚線) 1970)でも触れたように、後志利別川の貫流している今金町大字花石の風景は、例えようも無く美しかったのである。雪解けに蝦夷山桜が咲いて新緑へと遷り往く季節なぞ桃源郷と表しても良いくらいに。
周囲を渡島半島脊梁の低くなだらかな山容に囲まれ、屈曲する利別川の谷が高低差のある河岸段丘を創り出す立体感の在る地形に、その清流そのものの美しさゆえだろうか。
サクラマスを筆頭にウグイ、アメマスの回遊魚にヤマメの魚影もあって、シーズンには多くの釣り人を見かけた。

瀬棚線は、国縫側から山瀬トンネル(786M)で美利河峠を越えて、ここに至り、花石駅前後で利別川を渡河すること三度(第一から第三後志利別川橋梁)にて小金トンネルを抜け、瀬棚方向へと下っていた。ここは、段丘面が盆地の底面を構成していて、花石の集落も駅も、その広く緩やかな段丘面に在った。
それゆえ、花石を挟んで移動すれば上下とも力行する姿を撮れたのだが、気に入っていたのは137Mと最も延長のあった上り方近傍の第二後志利別川橋梁で、その風景を凝縮した核心部分に思えていた。

けれど、この線に蒸機の健在な頃、写真の技術は未熟で、とてもそれを写し撮れるだけの技量はなかったのである。
73年秋の函館本線の無煙化後も蒸機運転は残ったものの、それも翌年春にはDD16に置替られ、結局のところ満足の往くカットは撮れず仕舞いだった。

写真は、蒸機最期の冬、第二後志利別川橋梁上の1992列車である。
貨物列車は2往復の設定が在ったが、昼間に撮影可能な上りはこの列車に限られていた。
この頃の旅客列車には、キハ22に混じってキハ21の姿もみられたはずなのに、1カットも撮っていない。
蒸機目当ての撮影とはそんなものだったのかも知れない。

[Data] NikonF photomicFTN+P-Auto Nikkor50mm/F2 1/250sec@f11 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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