"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

有珠-長和 (室蘭本線) 1994

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小樽の街中から移り住んだ手稲には、熊が出没したのである。
昨今の札幌でもニュースを賑わすけれど、熊の側にすれば事情は些か異なるように思う。当時の住宅地は確実に彼らの領域を浸食しつつ開発されたのだった。
子供であったからだろうか、恐怖心に実感はなく、大人達の間での「誰それさんちの台所に入り込んだらしい」とか「どこそこの農家の鶏小屋がやられたらしい」と言った話に興味津々聞き入った覚えが在る。

彼らとは、どうやら隣接して生活していたようだけれど、キタキツネを見かけたことはなかった。当然に棲息していたはずなのだが、用心深く熊をそしてヒトを避けていたに違いない。
キツネとの初遭遇は72年頃、七飯近郊の山林と記憶する。それは定かでないものの城岱牧場への林道を外れたあたりと思う。山中でこちらを見つめる動物に出会い、タイムリィにも野犬被害にかかわる報道のなされたばかりの時期であったから、それと悟って緊張が走ったのだった。ほんの数秒の睨み合いを経て彼は足早に去って行った。
この帰りに地元の農家に、この話をすれば「それはキツネだ」と教えられた訳である。

ものの本によれば、どうやらキタキツネはこの頃から生息数を増やし始めていたらしい。彼らに好ましい生息域とは、決して深い森では無く、林に原野が混在するような景観の林縁部と言う。そこに農地が入り込み、ヒトが移り住むことで天敵の熊が遠ざけられ、より好適な環境が出現したと言うのである。
80年代になると、山林に分け入れば鉄道沿線でも頻繁に目撃され、90年代ともなれば住宅密集地の近縁でも見かけられるようになった。ヒトとともに生息域を拡大したと云って良い。

このエントモ岬先端部近くにも、一族であるのか数匹が住み着いているものと思われ、柴田踏切付近を訪れる度に目撃する。決して近づいては来ないのだけれど、こちらをじっと観察している。きっと撮影の鉄道屋なぞ、彼らの縄張りへの侵入者以外に他ならないからなのだろう。

写真は、エントモトンネルを抜ける8002列車。
<トワイライトエクスプレス>の運転開始は、<北斗星>に遅れること約1年の1989年7月18日大阪発からであった。それでも、もう四半世紀近く前の事になる。
(当時の運行については以下の追記に記している)

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f8 PLfilter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.

同日から11月11日札幌発までの23回の往復運行は、団体臨時列車に準じた扱いにて行われ、それは全て本列車への乗車と道内での宿泊に往路もしくは復路の航空券/車内での食事等を一括した旅行商品として発売されたものであった。(運転初日の1往復は招待客のみの試乗列車とされ営業運行ではない)
編成も転用改造の途上で1編成だけが用意されたもので、以下のような特別組成である。
  [9001-9031-9001・9002-9032-9002列車]
  大阪(函館)← Psac-PD-P'-Pnc-Pn-Pn-P'-Psac-PLe →(青森)札幌  *大阪方 1号車
    Psac-スロネフ25
    Pn-オハネ25 (560番台)
    Pnc-オハネフ25 (500番台)
    PD-スシ24
    P'-オハ25
    PLe-カニ24

個室B寝台であるオハネ25の510/520番台は間に合っていない代わりに、個室A寝台車にサロンカーを2両ずつ組成していたのである。
これへの個室B寝台車の組成は同年12月2日の下り運行からで、現状からPsa-スロネ25の無い、通称-第二次編成と呼ばれる編成が3本用意されてからのことである。また、これ以降が寝台券の一般発売も行われ、月水金土曜日を大阪発とする週4回の変則定期運行となる。列車番号も全区間を通じて8001・8002が付与されたのだった。
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