"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

滝川 (函館本線) 1979

takikawa-Edit.jpg

C6120の復元に併せて、東日本旅客鉃道は保有する在来型客車の整備を行った。蒸機の展示運転用として12系客車の基本6両編成のみの現状では、他に選択肢の無い措置ではある。
その改修工事の主眼は、この7両組成を現在の「通常」の運用に供せられる接客/保安設備を持たせるところに在った。
台枠梁強度の関係から汚物処理装置の搭載が見送られ使用停止とされていた便所を、近年に改良の進んだバス用の装置により整備し、蒸気暖房主管の改修にて、これも停止していた冬期の暖房を復活させている。
加えて、手動による客用側扉に空気式の戸閉装置と鎖錠装置を設置して保安度を確保した。

現代では信じられないかも知れぬが、当然のこととして客車の側扉は走行中でも開放出来たのである。混雑した通勤通学列車では、デッキの外側にぶら下がるように乗車する乗客の姿は日常に見られたものであった。ドアエンジンを装備した電車や気動車などと併用される時代となっても、電源や空気源を持たぬ客車とはそう言うものだったのである。
1950年代の設計になる特急用固定編成客車も車端に電源車を組成しながら、その折戸となった客扉の自動化はなされず鎖錠装置が設置されたのみであった。客車の伝統を踏襲したと解すべきだろう。列車ボーイが閉め忘れたものか、開放のまま走る姿を見かけたことが幾度かある。
貫通路への扉の設置も、車掌室を出入台の外側に置いた設計としたスハフ42やオハフ61など戦後の新製ないし鋼体化改造車が最初の例であり、それとて、その車掌室側(後位側)のみであった。
75年頃、仙台から山寺へ向う仙山線列車でのこと、機関車次位のデッキに乗っていたのだが、紅葉シーズンとあって停車駅毎に乗客が大挙して乗り込み、仕舞いにはED78の貫通扉にしがみつかざるを得なかった(*)。今なら当然排除されるだろうが、当時の鉄道係員は仕方の無いこととして黙認していたものである。

写真は、滝川駅に到着した322列車、スハフ32192(旭アサ)の後部デッキである。蒸気暖房のスチームが立ち昇る。
早朝に名寄を出て数時間の走行。この日はたいした降雪ではないのだが、巻き上げた雪が吹き込んで積雪10センチと言ったところだろうか。
これが豪雪の中ともなれば大量の雪にて客扉の開かず、あわてて反対側デッキへと走ったこともあった。

(*) - バッグに三脚を抱えて、この状態での仙山トンネル(5361M)の通過は生きた心地のしなかったことを付記したい。電気機関車があれほど揺れるものとは思わなかった。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/217-a38948dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。