"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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洞爺 (室蘭本線) 1990

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早朝に室蘭本線を下る寝台特急群を撮るようになって、洞爺に度々宿を取った。豊浦や場合によっては礼文方面への中継地としてである。

これに集中した撮影行動では、「下り」の撮影後に札幌付近ないし千歳線内へ移動して「上り」を出迎え、その後に翌朝に備えて東室蘭以遠、長万部/函館方面へ舞い戻るスケジュールを毎日繰り返していた。「下り」を礼文から大岸、豊浦で押さえようとすれば、長万部なり東室蘭からの始発での移動では間に合わぬゆえ、どうしても現地での前泊を要する。
札幌からの夕方の特急が洞爺で普通列車に接続するダイヤの時代もあったのだが、後に洞爺では特急に先行しての礼文退避が規格化されてしまい、勢いタクシー利用とせざるを得なくなった。この際、翌朝のポイントが決まっていれば、豊浦の宿からの徒歩も省略可能とあって、洞爺泊まりで朝のタクシー移動を選択していたのである。

洞爺泊と言っても、決して湖畔の温泉街へ向うでなく、虻田の市街地、駅前の宿である。現在もそうなのだが、ここにビジネスホテルの類いは存在せず旅館しか選択肢はない。この当時には、駅至近の国道37号線に面して‘浅野旅館’、一本海側の通りに‘旅館松よし’が在った。駅正面から海側へと伸びる道路はまだ開かれておらず、浅野旅館の先の路地を迂回すると松よしである。どちらも気さくな女将さんの切り盛りする宿で度々お世話になったものである。
この頃には、ここに限らず商人宿としての本来の駅前旅館の機能は、近隣都市のビジネスホテルに奪われてしまい、宿泊客は飯場を設営しなくなった土建/建設業関係者が主体となっていた。長期の工事ともなれば旅館ごと押さえられて泊まれぬこともあったのだが、常連の仲間入りをさせて貰えていたのか、そのような時でもなんとか部屋を工面してくれたものだった。残念なことに、浅野旅館は駅前の国道拡幅に際して廃業してしまった。

さて、その後は必然的に‘松よし’ばかりなのだけれど、その頃からここの集中給油式の室内暖房機は、午前0時から6時まで給油停止となっていた。火災対策や経費節減などの事由があったのだろう。普通の宿泊客ならば特に問題もない措置なのだが、鉄道屋としては困りごとであった。こちらは4時には起き出して5時前には行動を開始するのである。秋冬期、起床時のあまりの寒さに短時間利用の寝台車よろしく着衣のまま布団に潜り込んだものだった。

写真は、クリヤトンネル出口付近を海岸線から撮っている。その後に水鳥の休む海浜には漁港施設が建設され、同位置に立つことは叶わない。後方の岬上に後に建てられる老人介護施設も用地の整地が終わったばかりだった。
この日は、8002列車の運転の無いためか、午後を千歳線内に向わずに洞爺にて過ごしている。
列車は、ワム80000形編成による5161列車である。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f5.6-8 Fuji Sc48filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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