"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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鬼鹿 (羽幌線) 1978

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小平とか初山別には夏場も行っているのだけれど、鬼鹿には冬ばかりだった。とりたてて意識した覚えはないのだが、D61重連の運炭列車目当てに、初めて訪れた際の写真どころではない強風と吹雪に強烈な印象のあるせいなのだろう。
1970年秋の築別炭礦の衝撃的な閉山による、それの運行停止後の訪問も冬を選んでいる。→鬼鹿(羽幌線) 1973

五万分の一地形図「港町」図輻に、その記号は見られないものの、ここには温泉が湧いていたのである。
駅の名所案内標に「鬼鹿温泉(南0.5キロ)」の表記があって、訪ねてみたことがある。そこには、鬼鹿観光ホテルなる宿泊施設が建ち、これがイコール鬼鹿温泉なのだった。その範疇であるかは疑問だが、いうなれば一軒宿の温泉である。吹雪に荒れる海を眺めながらのひと風呂は、当時の旅にしてみれば一級の「贅沢」と言えた。
泉温はそのままでは入浴に適さず、加熱を要していたけれど、大浴場脱衣所には温泉法に基づく掲示がなされていたから「温泉」には違いない。
勿論、宿泊施設なのだが、むしろ今に言う日帰り入浴の需要に依存していた感があり、小平側に町営の「ゆったりかん」なる入浴施設が開業して客足が遠のき、廃業に追い込まれたらしい。羽幌線廃止後の1990年代末のことと聞く。

鬼鹿に限らず、羽幌線沿線には板囲いの家屋が多々見られた。もちろん、冬の強風への備えとしてである。波飛沫混じりの北西風を永年に受けたであろうそれは、汐枯れした渋みがあった。
構図を探して歩き回ったけれども、列車の時間が迫って、人も車も通らない路上からのカットになってしまった。

列車は、鬼鹿上り方に在ったホンオニシュカッペ川橋梁上の4802D<はぼろ>。幌延から羽幌線を通しての札幌行きである。
所定は2両組成なのだが、この日はさっぽろ雪まつり対応の増結があり、留萠回転車を羽幌線内に延長、さらに1両を加えた4両編成にて運転された。
網走からの<大雪>、遠軽〜興部からの<紋別>と併結となる函館本線区間では、それぞれへの増結も在って14両の長大編成だったはずである。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.


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コメント

閑散線区

こんにちは。
渚滑線や羽幌線など、渋い閑散線区にも随分足を運ばれていますね。

北海道は学生時代には2回しか行ってない事も有り、「乗りつぶし」だけで精一杯だったような気がします。

この土地の厳しさを象徴する板囲いのアングルが好きです。

  • 2012/08/05(日) 09:47:11 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

こんばんは。

レスポンス遅くて申し訳ないです。ちょっと遠征で・・・。

道内線区は、随分撮ったようで撮っていないのです。
運炭線にはほとんど行ってませんし、当時まだまだ健在だった簡易軌道なんかも撮ればよかったと
後悔している次第でして。

鬼鹿は好きな場所で、幾度も通っていました。だから、まだまだ登場いたします。
おつきあい下さいませ。

  • 2012/08/07(火) 03:03:43 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

廃止された

JR深名線の路線バス

  • 2012/08/11(土) 10:46:27 |
  • URL |
  • 永江聡 #-
  • [ 編集 ]

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