"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

鹿越信号場 (根室本線) 1976

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奥白滝の駅名標(プロフィル写真参照)には、上り方駅名に、この時点で駅ではなくなっていた「かみこし」とある。本来ならば「なかこし」と表示されるはずだが、ローマ字表記部分で、SS-KAMIKOSHIとして、SS=Signal Station と「信号場」を明記している。信号場を隣駅とした駅名標は、あまり例がない。
上越は、道内時刻表にもキロ程-68.6キロを削除した上で引き続き掲載され、普通列車の全てが停車して客扱いする実態は変わりがなかった。

同線の常紋信号場も一度も駅であったことは無いが、ここも同様であった。スウィッチバックしない、すなわち着発線に入らない列車には通過線上に乗降台が設けられていた程である。着発線に入れば、乗務員に頼んで急行列車から降ろしてもらったこともある。
蒸機撮影に高名であったせいか、仮駅として全国版の時刻表にも掲載された時期があり驚いた。ご記憶の方も多いだろう。その後には道内時刻表からも消えてしまったが、この線のCTC施行までは乗降自体は可能であった。

根室本線の狩勝越え区間にある西新得や広内、新狩勝の各信号場は、遅くとも80年頃まで乗降場(プラットホーム)の設備もないにかかわらず、昼間の気動車による普通列車がダイヤ上停車となっており、乗車後乗務員に希望すれば降車が認められた。そればかりか、出発信号機直前の列車停車位置辺りで待っていれば拾ってももらえたのである。
本来は、新得からの信号場職員(広内は有人の信号場であった)や保線職員の移動を事由とした措置であった。

さて、この当時の鹿越信号場は、道内版の時刻表に掲載されながら、それは全列車が通過表記であった。ここで下車したのは偶然で、乗車列車の乗務員から乗降可を知らされ、思わず降りてしまったのだった。1966年9月29日の開業からの被RC駅にて無人のそこには板張りの短い乗降場が整備され、時刻表に反して停車列車の時刻表も掲げられていた。この周辺に金山湖に沈んだ旧鹿越の集落が移転した訳でなく、周囲はまったくの無人である。
おそらく、ここも狩勝区間と同様の事由による停車措置で、通過表記はそれゆえと思われる。後日開いた70年の時刻表には、ここ自体の掲載がなかった。停車を告知しないままでの掲載開始の理由は分からない。

予定外の下車にて地形図の準備もなく、加えてロケハンの時間もなく、とにかく下車後起点方に遠望した橋梁先の隧道の上部斜面によじ登って撮影したのが、この写真だ。帰宅後、空知トンネルの出口側と知る。
登りきったそこは立派な舗装道路で、その上展望スペースまで準備されていた。こんなこともある。
列車は、弱い西日に照らされる422列車。荷物輸送の必要から、この区間に夜行<からまつ>と共に残された客車普通列車だった。

[Data] NikonF2+AiNikkor105mm/F2.5 1/250sec@f5.6 No filter Tri-X(ISO320) Edit by Photoshop CS3 on Mac.
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