"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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南稚内 (宗谷本線) 1970

minami_wakkanai_04-Edit.jpg

南稚内からの宗谷本線は、R402の曲線で右に回って天北線と別れ、クマザサに覆われた宗谷丘陵に分け入って往く。R302の比較的大きな曲線を左右に繰り返しながら10パーミル勾配を上り、旭川起点251K096Mで海岸段丘上のサミットに達し、この付近が車窓に海上の利尻島を見る地点となる。
クマザサの低い丘陵が続く独特の景観は、度重なった火災により樹木を喪失したものと言われ、この区間に限ればそれは1911年5月15日に出火した山林火災に端を発する「明治44年稚内大火」によるらしい。
当時の報道には、この山火事の(*)出火地点の記載はないけれど、一旦鎮火したものが17日午前11時頃に再び出火し、猛烈な南風にて山林原野を焼失の後に、午後1時半に至って市街地に延焼して全てを焼き払い、午後5時に市街地北端の漁場に到達して鎮火したとある。焼失戸数は全市街の700戸あまりに及んだと言う。
更喜苫内原野の西縁部に宗谷本線が開通するのは、それから十数年後の1924年6月25日のことであった。

(*)出火地点の記載はない - 増幌原野が全焼、更喜苫内原野半焼との記述はある。南風に煽られたとすれば、声問方向増幌原野内から出火と読めないことも無い。

樹木を失った丘陵地帯を犬師駒内(エノシコマナイ)川の谷沿いに線路の敷設されたこの区間では、見通しが効くゆえにどの丘に登っても同じようなカットが撮れそうではあったが(事実積雪期はそのとおりである)、丘陵下の湿地帯の存在とクマザサの深いことでポイントは限られていた。南稚内からそう遠くはない起点254K付近の送電線の丘、ニコニコポイントこと251K500M付近の利尻を画角に捉えられる丘、そして利尻を望むサミット付近であろうか。

写真は、宗谷湾を望めた送電線の丘からの撮影になる。ここには、その保守用と思われる草道が湿地を渡って通じており、それを伝って到達出来た。盛夏だけれど、海風の心地よさを良く覚えている。
列車は、この頃小樽行きであった324列車。機関車は深いキャブの屋根形状から流線型として新製のC5530と知れる。
この頃まではカラーネガをモノクロと併用していた。

現在でも右端の稚内高校は変わらないけれど、その周辺からこのポイント背後に新市街地が形成され、列車位置の後方付近には跨線道路橋が架けられている。この時代からは想像もつかない。

[Data] NikonF+AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f5.6 Non filter Kodak unknown film(ISO100) Edit by PhotoshopCS3 &LR3 on Mac.
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コメント

南稚内

こんばんは。

クマザサの丘陵が火災の産物とは知りませんでした。さすがは博学のwondergraphicsさんです。

爽やかな写真です。当時のカラーネガにしては良く色が出ていますね。

「南稚内で店が閉まるまで飲んで・・・」というお話を思い出しちゃいました。

そんなハチャメチャな撮影行もやってみたいですねえ。

  • 2012/07/26(木) 00:00:05 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

こんばんは。
コメントありがとうございます。

そう、南稚内の呑み屋で粘って、深夜にニコニコポイントに向けて線路歩きするのです。
そして、そこに在った保線小屋で、酔い覚めの猛烈な寒さに耐えながら夜明けを待ち、雪を掻き分けて近くの丘に登ります。
下り<利尻>のやって来るあたりの天候は運次第。大抵の場合は「嗚呼、利尻島が見えない!」と言うオチでした。

  • 2012/07/26(木) 01:05:34 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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