"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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南稚内 (宗谷本線) 1985

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蒸機撮影の頃、大半の撮影者は2台のカメラで撮っていた。ひとつの三脚にセットするか、複数のそれを立てるか、それぞれではあった。スタジオ撮影用のジッツォにバケペンを乗せ、3本の脚にクランプで3台の35ミリをセットしていた猛者や、10メートル程離れた場所に、もう一台の三脚を立て、トランスミッタの無い時代ゆえエアレリーズのチューブを伸ばしてシャッタを押していた例も実見したことがある。
もちろん、少ない撮影チャンスでカットを稼ぐためであり、それぞれのカメラには、異なる画角のレンズがセットされていたり、カラーとモノクロのフィルムが装填されていたのである。

新参の撮影者としては、早速にこれを取り入れ、2台の三脚を持ち歩いていたことがある。それぞれのカメラでフレーミングを異にしたいとの事由からである。けれど、直に機材が増えバッグ(当時はご他聞に漏れず銀バコである)も大型化すると持ち運びが困難となり、スリック社の販売していたスリックプレートなる芸の無いネーミングの機材を購入し、これを直接に三脚に取付け、そこにふたつの雲台を載せることにした。
以来40年余り、現在でも撮影はこのスタイルである。

当初はスリック社製の中型の脚/ベルボン社の雲台の組合せであったが、脚の売りであったセンターポール部と各脚部間の補強ステーが邪魔で、クィックセット社のハスキーを知ってから、それに差し替えた。ただし、それの雲台は重量が1キロを越え高さも15センチ近くあって、さすがにこれを2台搭載する勇気は無く、この際にジッツォ社の平型雲台の最も小型のものを導入している。
ハスキーの脚は、その重量に見合う強度とも満足の往くものであったけれど、次第にエレベータとその長いセンターポールが気になり出して、結局のところジッツォの今で言う3型クラスに替えてしまった。
このモノクロ撮影の最後期以降がこれに落ち着いた時期に当たる。

このカメラ2台撮影にも問題は在って、それはレリーズのタイミングが僅かにズレる場合に生ずる干渉によるブレであった。特にミラーショックの大きいF2のレリーズが先行すると、それがプレートを介して伝播し後のレリーズ側にカメラブレを生じさせるのだった。レリーズ間隔が1秒を越せば問題は無かった。
カメラ自体や雲台そしてプレートにもウェイトを掛けるなど対策は取るのだが、脚自体の設置環境によっては避け得ないことも在って、それの予想される際の最終手段は先行レリーズ側カメラのミラーアップであった。
同様の事例は、後にF4などのオートワインド機構でも発生した。それによる振動を拾ってしまうのである。こちらはフィルムアドヴァンスの一時キャンセルで凌いでいた。
これに限らず、根本的には三脚撮影の弱点としての雲台カメラ設置面の部材(通常はコルクなりゴムである)に問題があり、試行錯誤もしたのだけれど、正解は未だに見いだせていない。

写真は、南稚内 (宗谷本線) 1985のカットと同時に三脚にセットしていたカメラでの撮影である。それの85mmに対して180mmの画角になる。
85mm側をメインにポジションを取っているので、この180mm側は客車が一部切れてしまっているが、十分使えるカットである。
一日に1本の列車への2台撮影は、やはり止められないでいる。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor180mm/f2.8 ED 1/500sec@f8 Fuji SC42filter Tri-X(IAO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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