"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

札幌 (函館本線) 1985

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塩谷 (函館本線) 1983から続く。

さらに海水浴臨時列車を続けるが、ここでは、千歳 (千歳線) 1985でパスしていた、14系客車による海水浴臨時列車と、これに関連する博覧会観客輸送列車に触れる。

蘭島への海水浴客輸送の臨時快速列車<らんしま号>運行に、14系寝台車/座席車による夜行急行編成が運用されたのは、1985年の夏臨設定期からである。
14系はもとより、対象を拡げても寝台車(組成)編成による昼行臨時列車の運転は、新大阪-下関間急行<音戸>編成による宮津線海水浴臨<はしだてビーチ>、上野-仙台間急行<新星>編成を使用した上野-白河間多客臨時急行<しらかわ>の例を見る程度である。

きっかけは、その前年夏に小樽市内二つの会場で開催の「小樽博覧会」への観客輸送に設定の専用臨時列車<スリッピ号>の一部に、<大雪>編成を昼間間合いで運用し、その全車冷房のサーヴィスが好評であったことと思われる。
この列車は、同博覧会の勝納会場近くの小樽築港-浜小樽間旧貨物支線上に(*1)「小樽博覧会会場前臨時乗降場」を設け、同乗降場と札幌間に設定されたもので、84年夏臨期に7月21日から8月26日まで、9101・9102<スリッピ1・2号>と9106<スリッピ6号>としての運転であった。9106の折返しは回送である。機回しが不可のため前後に機関車を要した。
なお、この<スリッピ号>には他に80系を含む気動車編成も使われた。

(*1)「小樽博覧会会場前臨時乗降場」 - 営業上は、単に「会場前」と称した。小樽築港-浜小樽間貨物支線は、84年2月1日付にて廃止が公示されており、この時点では小樽築港の構内側線の扱いであった。よって、この乗降場は小樽築港と同一駅と見なされ、臨時乗降場の名称は構内の「臨時」の乗降場を指すものと思われる。通達に依れば、その設置は84年6月10日、廃止は同年8月27日とある。

さて海水浴臨<らんしま号>には、85年/86年夏臨では、朝の送込み輸送に<まりも>編成が、午後の引上げ輸送に<大雪>編成が使われ、それぞれ片道は回送運転であった。ともにシーズンに7日間の設定である。
87年夏臨になると大幅に設定が増やされ、<大雪>編成が16日間、<まりも>編成と夜行臨時<すずらん>編成がそれぞれ8回-8日間ずつの往復運用となり、これらは余市の構内に昼間留置となった。
88年夏臨からは、当時寝台車組成のなかった<はまなす>編成のみがこれらに替わって使われた。<大雪><まりも>編成は、88年3月13日改正にて所定編成の減車が実施され、(*2)折からの14系の逼迫した需給により夏臨期といえども増結に限界があり、海水浴臨としての輸送力不足によるものと推定している。よって、寝台車組成編成の運用は、現在までこの3シーズンのみの記録となっている。

(*2)折からの14系の逼迫した需給 - 千歳 (千歳線) 1985脚注(*4)参照

写真は、苗穂から回送で9842列車<らんしま6号>として札幌に入線する<まりも>編成。この85年の設定では、札幌に到着した<まりも>は札幌運転区に向うこと無く、一旦苗穂に引き抜かれ、この間にリネン類の撤収/車内清掃を行った上で札幌に回送されていた。牽引機も<まりも>を牽いて来た釧路機関区のDD51の仕業である。同区配置機関車の函館山線運用も他に例はないと思われる。
肝心の列車編成は、ヘッドマークの掲出もなく、外観は<まりも>と何ら変わりが無い。この当時の釧路区のDD51にヘッドマークステーの設備されないゆえである。

[Data] NikonF3P+AiNikkor300mm/F2.8ED 1/250sec@f8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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