"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

函館 (函館本線) 1988

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国鉄の分割・民営化に際しての各旅客/貨物鉄道会社への施設や車両の承継準備は、1986年11月1日のダイヤ改正時になされた。旅客車は勿論各旅客鉄道が引き継ぐのだが、当然ながら機関車と一部の貨物車は旅客/貨物会社双方への継承があった。
道内配置のDD51形式液体式内燃機関車では、貨物鉄道への帰属が予定される鷲別/五稜郭の両機関区への配転が、小樽築港/岩見沢第二/旭川の各機関区よりなされたものの、逆に鷲別/五稜郭区から岩見沢区への3両(1006・1010・1052)もあって、その同一形式内での個々の車両の選定がどのような基準で施行されたものか興味深い。
いずれにせよ、1987年4月1日の北海道旅客鉄道発足に際して、同社は旭川運転所に6両、釧路運転所に3両、空知運転区(←岩見沢機関区)に16両の計25両のDD51機を継承した。
旭川所の6両は<大雪><利尻><宗谷>と宗谷本線名寄/石北本線上川への普通列車に5両使用/1両予備の仕業を持ち、釧路所の3両は<まりも>専用機である。
空知運転区の16両の定期仕業は、<天北>の名寄までのみの2両使用であったから、この両数の算定には、当然ながら一年半の後に予定されていた本州-北海道間連絡列車への使用分が含まれ、それの重連牽引も既定であったと推定される。

1988年3月13日改正からの、その本州-北海道間連絡列車<北斗星>の牽引仕業において、運行開始時点での内燃機関車の国鉄制式塗色を専用塗色に改めると、北海道旅客鉄道よりアナウンスされたのは同年6月半ばのことであった。当時注目の列車であったゆえ、新聞各紙が一斉に記事化したと記憶している。
最初の塗色変更機となったDD51 1141は88年7月1日付で出場し、これの報道公開もまた続報で記事化されていた。
実際の<北斗星>牽引は、続いて7月8日付で出場のDD51 1140との重連にて、7月9日の2列車/現地で10日の1列車が初仕業であった。これはデモンストレイションであって、この2両が当面重連を組んでいた訳では無い。空知区の全車の塗色変更の完了する11月までは、未変更機との重連仕業が多々見られた。

この青20号に金帯を巻き、運転台側面にシンボルマークを追加した塗色は、東日本旅客鉃道田端運転所のEF81の同様例と異なり、<北斗星>専用機としてのものでなく釧路所/旭川所配置車も含めた所属全機が対象とされ、同年度末までに完了した。原則として空知運転区での自区施工だが、一部を釧路車両所で行い、またこの期間に全検入場のあるものについては、その委託先である日本貨物鉄道の苗穂車両所での併施とされた。

今でも印象は変わっていないのだが、青色ベースの<北斗星>機関車ヘッドマーク(列車名標第二種丙)は、青20号の機関車に埋もれて映えることが無い。オレンジ主体の国鉄制式塗色にあってこそ生きていた。
同時期に、山陰本線の<出雲>では国鉄制式塗色に赤色系のヘッドマークが同化していて、これが逆にならぬものかともどかしく思ったものだった。

写真は、国鉄制式塗色機に牽かれて函館を出る、5列車<北斗星5号>である。
函館駅第二乗降場が健在であり、機関車列車は機回しの関係で4番ホームに発着していた。北海道旅客鉄道函館支社ビル裏手あたりからの撮影になる。現在は、機関車のすぐ横にまで第三/第四乗降場が伸びている。
函館 (函館本線) 1988と同一地点である。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105nn/F1.8S 1/500sec@f8-11 Fuji SC56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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