"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

京極 (胆振線) 1969

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噴火湾岸から洞爺湖の東を北上し、シリベシ山(羊蹄山)を回り込むように室蘭本線と函館本線を連絡していた鉄道が存在していたとは、今では信じられない気がする。
もっとも、胆振線はこの連絡のために建設されたものでは無く、脇方鉱山の鉄鉱石の搬出を図った鐵道院による軽便線と沿線の林産資源の開発を目的としていた私設鉄道の戦時買収にて成立した線区である。資源の枯渇すれば、衰退は免れ得なかったと見るべきだろう。

この線区は往復を乗ったけれども車窓からは気に入ったポイントを見つけられず、蒸機時代に間隔を置いて二回、延べ二日間撮っただけで終わってしまった。それも函館山線撮影の「ついでに」のレヴェルである。
左右のデフレクタのステーに2灯の前照灯を乗せた倶知安機関区の9600にしても、岩内線への運用を小沢や倶知安峠で何度も撮っていたし、貨物の一往復の運転しかない胆振線行きは効率の面からも躊躇していたのである。

最初の訪問が、この1969年の冬で、区間列車もあって入り易かった京極まで出向いた。そこにポイントの当てが在った訳でなく、上りの<ニセコ>を見送った後に転戦可能な範囲からの選択に過ぎない。

写真は、京極の北岡方に外れた畑作地らしき地点(積雪の下で分からぬのだ)からのカットである。シリベシ山を画角に捉えたいところだが、午後から悪化した天候で中腹まで雲に覆われてしまっていた。
列車は、1890列車東室蘭操車場行き。山麓の傾斜地だけに場内直前まで力行している。この列車、京極に約1時間停車するゆえ南京極方に移動してカットを稼げるところなのだが、冬至も近いこの時期に在っては、それは日没間際となってしまうのだった。

倶知安機関区によるこの仕業は、伊達紋別から室蘭本線を東室蘭操車場まで直通しており、この区間で見られる唯一の9600であった。

[Data] NikonF+AutoNikkor5cm/F1.8 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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