"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

千歳 (千歳線) 1985

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道内急行列車の体質改善のため1980年度から83年度にかけて投入された、基本番台車への極寒地向け改造にて500番台に付番の14系特急形客車は、寝台車系列が25両、座席車系列が59両に及んだ。
このうち80年度と81年度分は、函館-札幌間昼行急行置替用として座席車系列のみであり、30両が函館運転所に配置された。
当該の[函1]運用103・102列車<ニセコ>の8両編成-2組使用に対して予備率の高いのは、波動輸送が考慮されたためである。

これを使用しての臨時列車運転は81年春臨期より早速に開始され、室蘭本線経由の函館-札幌間8213・8212<すずらん59・54号>、8217・8218<すずらん61・62号>に5両編成-2組使用にて運用された。いずれも気動車運転からの置替で、<すずらん61・62号>は夜行の設定であった。
同年夏臨期からは8213に替えて、気動車による季節列車を本系列運用に組込み、6203<すずらん3号>としている。
以降、(*1)設定の濃淡(*2)組成両数、列車番号/愛称番号の変遷はあるのだが、ほぼ同一のスジにて昼行運転が86年夏臨期まで、夜行が北海道旅客鉄道への承継後の88年春臨期まで継続された。
昼行運転の設定中止は、86年11月改正にて同改正で定期運用を離脱したキハ80系気動車に置替られ、冬臨期設定からは臨時特急<北斗>としたものであり、一方の夜行運転については、87年夏臨期より、(*3)余剰となっていた2段寝台化未改造の寝台車も連結されるなど北海道旅客鉄道としては運転継続の意思を持っていたようなのだが、折からの海峡線開業ブームによる同線(*4)快速<海峡>運用車の需給不足により設定が困難となったゆえであった。
これは、やや間隔を置いてキハ56/27改造車による快速<ミッドナイト>の定期運転にて代替された。

(*1)設定の濃淡 - 秋臨期での設定は82年で終了している。また、昼行運転は気動車に戻されることもあった。
(*2)組成両数 - 6両組成運転の実績がある。最小編成は3両。
(*3)余剰となっていた2段寝台化未改造の寝台車 - 85年11月7日付での<まりも><大雪>の寝台車減車(座席車置替)によるもので、86年11月改正時点で予備車を含めたオハネ14-6両が2段寝台化対象から外され、余剰となっていた。余談だが、これらは、88年度に<北斗星>運用車増強用として系列間改造の種車となった。
(*4)快速<海峡>運用車の需給不足 - 14系は<はまなす>との共通運用にて<海峡>に2往復の設定があった。これの最大12両の組成があり、また、50系客車運用への増結車捻出の必要から同系運用の一部を置替えたことで著しい車両不足を生じていた。これにより同時期の道内夜行では座席車を(*3)の寝台車にて座席代用とするケースが多発した。

写真は、千歳駅場内における8202列車<すずらん52号>である。
この85年3月改正から86年11月改正までが、道内に於ける客車急行列車の最大運転本数を記録した期間で、臨時列車を加えると実に一日8往復の運転があった。
牽引するDD51 710は、1970年4月6日付での五稜郭機関区への新製配置以来、ここを動くこと無く86年度末に用途廃止となった。これも三つ目のカマであった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8 1/500sec@f11 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.

趣味的に興味深い、その他の14系500番台車による臨時列車運用に言及する。

9301・9302<宗谷81・82号>
1990年の夏期輸送ピーク時の8月11日〜16日に急遽設定されたもので、事前の時刻表への掲載はなかった。これ以外の設定実績もない。
札幌-名寄間に4両編成での昼行運転で、スハネフ14を座席車代用で組成した他、座席指定車にオハ14のアコモデーション改善車(通称-まりもドリームカー)を連結した。
同系統の定期列車がキハ480/400で運転される中での14系客車の起用は、サーヴィスレヴェルを同等とする配慮であろうか。
9609・9602/9603・9608<カートレインくしろ>
1998年冬臨期の年末年始期間に白石-釧路間で設定された道内相互発着のカートレインである。帰省客の利用動向に合わせて年末の下りと年始の上りを夜行運転とし、昼行となる折返しも回送とせず営業を行った。
スハフ14と本列車向けに客室内を全面カーペット敷きに改装したオハ14513が充当され、<カートレイン>運行の原則に従い、上下ともこれの後位にワキ10000-6両が続く編成であった。
オハ14513は、本列車充当時以外は青函間<海峡>や団臨への組成を想定して、<はまなす>向けカーペット車とは異なりオハ51 5000番台に準じた仕様とされたが、本運用では夜行運転を考慮してその発売定員を18名に制限していた(昼行運転でも同様)。
列車自体は、対本州(東京)の<カートレイン>が東日本旅客鉃道側の事情にて設定の困難となったことから、これを自家用車が長距離運転となる道東方面に試行したもので、既に1997年冬臨期(年末年始期間)と98年夏臨期(旧盆期間)に設定されており、この際は対本州運行に倣って24系寝台客車による運転であった。
14系座席車への置替は、寝台車による運行が列車設定の主要ターゲットであるファミリー層にとって利用しづらく、また昼行運転時における座席代用の居住性の改善を意図したものであった。
積載可能車種の拡大を図ったワキ10000への自動車自走による荷役方式の採用も含めて、北海道旅客鉄道が<カートレイン>の育成に努力していた証のような列車であったが、残念ながら、本列車はこの設定が皮肉にも最後となってしまった。
9121・9122<カートレインさっぽろ>
上記のカートレイン編成を1999年夏臨期の旧盆期間に東青森-白石間に設定したものである。旧盆期間前半の下りと後半期間の上りの運転で、折返しの昼行運転の営業は無く回送であった。
北海道旅客鉄道による<カートレイン>運行は、この設定を以て終了した。同時に、日本における最期のカートレイン運行でもあった。
9601・9602<はまなす>
1990年冬臨期から95年冬臨期まで定期<はまなす>は、編成中の一部を秋田-青森間に臨時列車として延長運転を設定していた。さっぽろ雪まつり期間における秋田方面からの観客輸送を目的に始められた措置だが、それ以外での設定実績もあった。14系500番台車の本州線運行の希有な例である。
初設定となった91年2月の運転では、札幌運転所在姿で基本編成の旭川方(これは青森駅在姿だと秋田方になる)に座席車3両を増結し、これを青森で解結して秋田発着としていたが、同年7月の附属編成としてのB寝台車組成以降は、これに座席車の2ないし3両を加えての運用とされた。(基本編成は日中に青函間の運用が在る)
この青森における解結で興味深いのは、下り列車では青森に到着後、一旦引上げの上転線してホームで待機する基本編成に連結となるのだが、時刻表に公表された青森着時刻は、この入換後の連結時刻を採っていたことである。すなわち、それまで秋田からの編成の客扉は扱われぬのであった。同駅で下車する奥羽線内旅客は居ないとの判断によるものであろう。
なお、寝台車は勿論のこと座席車も全車座席指定での運行であった。

この他、札幌から蘭島への海水浴臨時列車への運用があるが、これは別項に譲る。
また、団体臨時列車については、アコモ改善車(通称-ドリームカー)の全車を連ねた長駆桜井線天理までの運転など、興味ある事例も存在するけれど割愛させていただく。
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