"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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中丿沢 (函館本線) 1991

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民営化を目前に控えた国鉄が、1985年度に於ける貨物固有経費での収支均衡達成に追いつめられて実行したのが1984年2月1日のダイヤ改正であった。年度末の3月実施を、本来ならば避けるべき積雪期の2月に、たかだかひと月を前倒ししたところに当時の切迫感が見て取れる。
この改正における貨物輸送の大幅なシステムチェンジは、鉄道の情景に眼に見える大きな変化を及ぼした。ヤード系車扱輸送の廃止にて、多種多様な2軸貨車を組成していた貨物列車が見られなくなり、使用停止された全国のヤードがそれらの遊休貨車で埋め尽くされたばかりでなく、幹線系線区においては、高速列車を退避していた最高速度85km/hの貨物列車の運転がなくなって各駅での待避線の使用停止が相次いだ。これは、民営会社となった87年度以降に不要固定資産の整理として撤去が加速されることになる。

道内発着の貨物が本州への連絡にて集中していた函館/室蘭線ルートにおいても、これにより、ほとんどの駅に設備されていた主に上下列車の待避に使用の中線ないし下り上りいずれかの待避線の撤去された駅は、五稜郭-長万部間で7駅、長万部-苫小牧間で5駅、千歳線内の1駅に及び、北入江/北舟岡の両信号場も廃止された。

鉄道写真屋の眼でこの事態を眺めると、貨物列車の設定本数の減ってしまった反面、中線の撤去で撮り易くなった駅も生じたのである。
このルートの各停車場は貨物列車の長大編成運転に対応して400メートル近くの本線有効長を持っていたのに対して、乗降場のそれは半分にも満たないものが大半で、乗降場より離れた場内は中線なり待避線が撤去されれば、上下線間に適度の間隔を保って引きの取れる、撮影に格好のポイントとなったのだった。それは停車場内と言うより駅間の様相である。

実際に中線の撤去され、場内に分岐器のなくなった所謂棒線駅は運転扱上駅ではなく、したがって駅場内も存在しない。例え出発信号機や場内信号機の位置に常設信号機が建植されていても、それは閉塞信号機、すなわちそこは駅間である。
道内では、仮乗降場が多数存在したゆえか、このような棒線の駅を「停留場」と区別していた。もとより運転取扱規則にある公式の呼称ではない。

写真は、中線のなくなった中丿沢の旧場内下り方を通過する5列車<北斗星5号>。
ここは通信線柱が海側設置となっていて、下り列車をすっきりとした画角で捉えることが出来る。

[Data] NikonF4s+AiNikkor ED 300mm/F2.8S 1/500sec@f5.6 PLfilter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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