"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

黒松内 (函館本線) 1975

kuromatsunai-Edit.jpg


通票閉塞の施行線区を運転する優等列車への運用車は、停車場内を通過する際に通票を受け取るためのタブレットキャッチャを装備していた。そこに設置の通票授器(さずけき)にセットされたタブレットキャリアを走行のまま、これに引っ掛けると言う原始的な手段である。バネのヒンジにて、確保したキャリアは落ちぬようになっていた。
けれど、ほとんどの機関士/運転士はこれを信頼していなかったように見える。大抵の場合は、所持していた通票をキャリアごと螺旋状の通票受けに投げ込むと、今度は運転台から身を乗り出して前途の通票を授器から自らの腕でキャッチしていた。蒸機機関車は勿論、二人乗務の運転なら、これは助士の仕事であった。
減速してのこととは言え、かなりの衝撃と思われ、キャリアを腕に通すと同時に身体をうしろに反らして、これを車体に当てて緩和していたようである。キャッチャはバネヒンジの固さなどで確保に失敗すること多々在って、信頼度の低かったのではなかろうか。取り損ねたり、落下させたりすれば、列車を停止させて拾いに往かねばならない。

写真は、黒松内での通票の授受を終えて再加速する11D<北海>。運転担当の当務駅長は、その一部始終を監視し、指差換呼にて列車を見送る。ついこの間まで、何処の駅でも見られた鉄道職員の基本動作である。
この当時、ここは特急通過駅であったのだが、81年10月改正での<宗谷>の格上げ特急化に際して、その停車駅を引き継ぎ、この11Dも停車に改められた。

CTC化の見送られた函館山線区間は、それでも本社からの合理化要求は強かったと見えて、80年代以降、運転要員を残しての駅の無人化や簡易委託化が進められた。運転関係の要員が完全に撤退するのは、86年11月改正における電子閉塞方式の施行によるものであった。その中に在って、ここ黒松内は北海道旅客鉄道への移管後も永く直営を保って来た。直営駅にもかかわらずマルス端末の設置が無く、硬券や出補/改補などの軟券の宝庫だったことも記憶に新しいものだが、惜しくも2006年度末を以て無人駅となり、山線の零落の、また一歩進んだ印象を持ったものだった。

[Data] NikonF PhotomicFTN+AiNikkor50mm/F1.8 1/500sec@f8 Y52filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptuerOne5 on Mac.
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コメント

こんばんは。
タブレット懐かしい響きです。祖父が国鉄マンで子どもの頃、タブレットの受け渡しの話を聞いた記憶が蘇りました。
私もついにモノクロームでの撮影を四半世紀ぶりに開始しました!?
モノクロもいい感じです。

  • 2012/06/27(水) 22:33:55 |
  • URL |
  • taisho100nen #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。
コメント、ありがとうございます。

この当時、暗室で悪戦苦闘してなんとかプリントしていたことが、
今はフィルムをディジタルデータ化さえしておけば、さらりと実現してしまいます。
拍子抜けすることも多々あるくらいなのですが、それはそれでモノクロフィルムの可能性が広がったと
理解しています。
ディジタル撮影のモノクロ現像(モード)とは、まったく異なる世界です。
いまさらながらですが、モノクロフィルムの露光ラチチュードの幅には驚かされます。

  • 2012/06/28(木) 22:38:09 |
  • URL |
  • wondergraphics #-
  • [ 編集 ]

タブレット授受

こんにちは。

タブレットの授受は危険と隣り合わせの作業だったと思うのですが、
サーカスみたいで興味深くもありました。

取り損ねたタブレットをキャリアごと車輪で踏んづけて曲げてしまい、
火室で熱して修復を試みた、という真偽はともかく笑えない話も読んだことがあります。

  • 2012/06/30(土) 19:11:16 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: タブレット授受

こんにちは。

あれは、ガンメタルと呼ばれた銅の合金製ですからねえ。
でも、溶融温度は低いはずなのであり得ない話でも・・・。
とは言え、閉塞器から取り出された「それ」さえ所持していれば
閉塞は有効ですから、ツブそうが壊そうが前途の運転に影響は無し。
問題は、到着駅で「それ」を閉塞器に戻せないなければ閉塞の解除が出来ないことですね。
はてさて、どうしたのでしょうか。

仙山線での455系急行のように、最初からタブレットキャッチャを装備しない車両の
通票閉塞区間の運用もありましたね。
一人乗務の時代にあっても助士が乗り込み、運転台直後の客用乗降扉には保護網が架けられ、
扉は使用停止での運行でした。

  • 2012/07/01(日) 11:26:02 |
  • URL |
  • wondergraphics #-
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