"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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[番外編 7] 江別駅前 (国鉄自動車空知本線) 1983

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日本の鉄道趣味の範疇には、海外のそれに決して含まれないものがある。それは船の分野である。
言わずと知れた鉄道連絡船が存在するゆえで、例えば過去の鉄道写真コンテストなどでは、連絡船も応募対象に含まれるのが常であった。諸外国の趣味誌に船の載ることはまずあり得ない。
しかし、国鉄がバス運送事業を行っていても自動車趣味となると、これは厳密に区分されていたもので、鉄道趣味誌がこれを正面から取り上げることはあまり例が無い。ただし、近年では鉄道から派生したバス趣味者も数多くおいでのようだ。

古い鉄道屋としては、この分野は門外漢である。
ただ、末期にリゾート路線など一部に制限が課せられたものの、北海道/道南の均一周遊券では全ての国鉄バス路線も自由乗降対象であったから良く利用していた。
公共企業体であった日本国有鉄道は、鉄道事業およびその付帯事業しか遂行出来なかったから、その自動車運送事業はあくまで鉄道線の代行/培養/短絡/補完、そして鉄道予定線の先行の5原則に従って運営された。広大な北海道では鉄道線にてカヴァされない地域が多く、国鉄自動車は札幌を中心とした石狩平野をはじめ、旭川周辺および美瑛/当麻地区、噴火湾北岸、日高方面から襟裳岬を経た十勝平野一帯、そして根釧原野に広く路線を持っていた。

利用価値の高かったのは、やはり鉄道の並行線であった伊達本線/黄金線と日勝本線の日高側であろうか。鉄道に普通列車の無い時間帯にも便の設定があり、ポイント近隣の停留所での乗下車も便利ではあった。
空知本線と長沼本線は、厚別営業所ないし新札幌での乗り継ぎで千歳線方面と新夕張川橋梁との行き来に使った。当時は橋梁近くに岩見沢行きの停留所も在ったのである。
恵比寿岩を俯瞰する西春香停留所への移動にバス利用は不可欠だった。この札樽線は、北海道中央バスと共通乗車になっていて周遊券の提示でこれにも乗れた。

古い記憶で恐縮だが、60年代後半にこの札樽線にあった手稲町は駅員配置の「駅」であり、小樽ないし札幌で鉄道に連絡となる全国各駅への乗車券を販売し、小荷物も扱っていた。それゆえバスは、運転台後ろの腰掛けを撤去して小荷物置場がつくられていたものである。
かつては貨物運送も行っていたと言うが、それは実見していない。国鉄部内では、この貨物車、すなわちトラックなのであるが、これを公式には無蓋車と呼称していた。確かに当時はアルミバンボディのトラックなどは無かった。

写真は、新夕張川橋梁からの帰路、江別駅前ターミナルの光景である。
ここには国鉄バスの専用窓口(後方「国鉄バス」の看板の建屋)が設けられていたが、自動車線の駅ではない。
車両称号と車番は、左から527-2071/527-0004/527-3012。いずれも日野車体製の非冷房車で近年の導入と知れる。右端は新車である。

-参考文献-
国鉄路線図一覧 1968 国鉄運転局
鉄道ジャーナル No,208 1984 鉄道ジャーナル社

[Data] NikonF3HP+AiNikkor85mm/F1.8 unknown Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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