"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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桂川臨時乗降場 (函館本線) 1983

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アジア太平洋戦争末期の陸運転換に対応して、戦前より貨物輸送のメインルートであった函館海線/室蘭線には、多くの信号場が設けられた。増大する輸送需要を、それにて凌いでいた訳である。
1945年の戦争終結の時点で存在した信号場は、1936年設置の仁山信号場を除く全てがこれによるものであった。
戦後まもない時期に廃止、撤去されたものもあるが、大半は60年代に始まる複線の使用開始まで生き延び、現在も一部残る単線区間に存在するものは、その機能において現役である。

これら信号場の多くは、個々での開始時期は不明ながら旅客扱いも行っていて、複線化の進展等によって信号場としての機能が不要となった後も、それは継続したのだが、国鉄によるその扱いが一様でなく、実は良くわからない。

例を挙げる。
スウィチバックの待避線が加速線と兼用であった戦時型の東山信号場は、それゆえか1949年8月1日と言う早い時期に廃止され、その際に本線上に気動車2両分程の乗降場を設置して、キロ数設定の無い仮乗降場として存続した。複線化により廃止の旭浜信号場/小幌信号場も同じ扱いである。
東山仮乗降場は、内地からの旅行者がはじめて出会う「時刻表に無い駅」として良く引き合いに出される。
対して、桂川信号場は、1979年9月27日の森方の複線使用開始にともなって廃止されたものの、同じく新たな乗降場を複線上に設置して客扱いを続け、これは全国版の時刻表にも(臨)の表記にて記載された。国鉄北海道総局が1985年に作成した「線路一覧略図」でも臨時乗降場となっている。複線化が別線によって行われた石谷-石倉間に在って、新たな乗降場が新線上に設けられた本石倉(信号場)ですら、その扱いである。
当時も信号場として機能していた鷲ノ巣/北豊津も同様に臨時乗降場と記されている。

この差異が良くわからない。
上記に例を掲げたうち、国鉄旅客局による「停車場一覧」(85年6月1日現在)に記載されるのは、その時点で信号場であった鷲ノ巣/北豊津だけであるから、やはり実体は仮乗降場が正しいのであろう。
考えられるのは、信号場当時の旅客扱いの有様である。信号場における旅客扱いは珍しいものでは無く、羽越本線の今川や東北本線の高久のごとくに隣接駅の遠隔窓口として近隣駅はもとより東京都区内までの乗車券を常備していた例もある。ここまでではないにせよ、それが本社の承認したものであったかどうか。ここに後年の扱いの差異の源があるとも思える。
鉄道公報なり、局報なりを丁寧にめくれば答えのありそうな気もするが、一度それで国会図書館通いをした身としては二度目の気力は無い。仮乗降場なら「通達」のみで設置され、臨時乗降場には「公示」がなされているはずである。Web上で識者を捜すも見つからなかった。

写真は、桂川トンネル上部から桂川の集落を見ている。鉄道と海岸線の間の狭い土地に汐褪せした家屋の建ち並ぶ漁師の集落だったけれど、この当時に船溜まりはなくて、それは浜に引き上げるものだった。
列車は 3D<おおぞら3号>。
列車後方に小さく見えるのが桂川の乗降台で、その位置は信号場当時の停車場中心とほぼ同一である。桂川トンネルは、それまでの湯の崎を迂回していた単線に替えての新線上にあり、1971年9月21日に複線使用を開始している。海側に分岐して行く路盤が旧線跡である。旧桂川橋梁の橋台が見える。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhptoshopCS3 on Mac.


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