"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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釧路 (根室本線) 1985

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道内の夜行急行列車が廃止されて久しい。これと北海道均一周遊券との組合せは北海道への撮影行の定番だったのだが、その双方ともに今はない。
札幌と函館、釧路の間が、それぞれ3時間に4時間の時間距離ともなれば、確かに夜行の領域ではない。5時間程の稚内/北見・網走方面にしても、もはや夜間移動の需要はバスにて十分に吸収出来る程にしか存在しないのだ。

夜行列車が欠くべからざる移動手段として活況を呈していた70年代には、各方面とも定期列車に先行ないし続行する予定臨ダイヤも設定され、折からの ‘DISCOVER JAPAN’ キャンペーンの成功にて押し寄せる観光客輸送に、夏期の繁忙期等には、そのスジによる臨時列車が運転されていた。
これには観光利用に特化した設定のゆえに、網走から釧網本線に直通する<大雪51号>の原生花園臨時駅行き(回送で斜里まで)や、札幌を経由しない洞爺-釧路間の<狩勝52号>のように定期列車には見られない運転も存在した。

基本的にはどれも客車列車なのだが、宗谷本線の<利尻51号>だけはキハ56/27による気動車運用で、夏期の運転では内地から借入のキハ58/28の組成されることもあった。この列車は下りのみが設定され、車両は上り<天北> の増結車にて札幌へ戻っていた。
72年の夏に利用した際には、客車と異なり車内照明の減光機能がないために、深夜走行中のそれは消灯であった。非常灯のみで宗谷本線の無人地帯を行く車内は暗闇となり、それは寝台車にすらない環境である。乗客の全てが稚内までの乗り通しであればこその割り切った措置だったのだろう。

夜行の臨時列車には特急の設定もあって、80系気動車にて函館山線経由で函館-札幌間に上りのみ運転した<北海51号>がそれである。
青森からの<はつかり51号>への継送を前提とした設定のため、札幌を21時過ぎに出て函館は深夜2時30分の到着となり、青函連絡船は貨物便を客扱いした162便が接続した。
これにも一度乗車したけれど、真夜中の乗継ぎはさすがに堪えた覚えが在る。上野には17時の到着であった。

道内夜行急行には、82年11月改正で14系座席車が、次いで83年4月から7月にかけて同系寝台車が投入された。
寝台特急の運転の無かった道内で、それは撮影対象としては歓迎すべき事態であったけれども、周遊乗車券を利用した宿代わりと見れば、スハ45/スハフ44に軍配が上がる。
腰掛の座席下にヒーターを装備した14系では、それが暑くて寝て居られぬ上に、リクライニングにストッパのなかったRN-51形式腰掛は眠るには落ち着かないのだった。
思い出すのは、座席車だけが14系に置替られた当時、これに乗車していると加減速の際にドン突きをともなう前後動が激しかったことである。
ブレーキ装置の14系のCL方式と軽量客車側のAV方式にて応答速度の違うものか、自動密着連結器と自動連結器の相違とそのバネ係数の違いによるものなのか、これらの複合要因であるのか、小刻みな前後動に加えて、時折眼の覚めてしまうくらいの衝撃もあったのである。これは14系側だけの現象であって、この時期に利用した寝台車では感じられなかった。

写真は、道内旅行に不可欠だった夜行急行の一角、釧路駅頭での414列車<まりも>である。
寝台車5両に座席車4両を連ねた編成は、堂々のトランブルーだ。
郵便輸送の取扱便の廃止以降につき、機関車次位の隅田川客貨車区運用[北東航21]はスユ15となっていた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4 Bulb@f11 Non filter Tri-X(ISO320)
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コメント

こんにちは

子どもが小さかった時にいつも読んでいた、「やこうれっしゃ」と言う絵本があります(ゴハチが表紙)
よむというよりは文字がない絵本だったので眺めていたのですけれど
時間をかけて ゆっくりゆっくり眺めていました 自分も乗ったつもりになるのでしょうね
私は小さい頃に祖母のいる函館方面へ向けて何度も乗りましたが
夜行列車をしらない息子たちは いいなあ いいなあと うらやましがります 

  • 2012/05/27(日) 13:55:54 |
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  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re:

渡島大野でしたね。
ならば、そこに停車する山線経由の荷44列車でしょうか。
室蘭線回りの夜行<すずらん>が無くなってからは、函札間の唯一の夜行でしたから良く利用しました。
倶知安が午前0時くらいになるのですが、ホームの売店とそばスタンドは開いていて、駅弁も買えました。
道内夜行の廃止直前の頃には、途中駅の売店が開いているなんてことは無くなって
始発で食料を仕入れられなければ、朝まで「エサ」無し覚悟でした。
夜行列車も良いけれど、それを取り巻く環境があっての旅だった気がしています。

  • 2012/05/27(日) 23:57:43 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

道内夜行列車

こんばんは。

道内夜行列車、懐かしいですね。

「利尻51号」、1981年夏に乗りました。
夏の北海道といえば当時の若者の青春旅行の定番でしたから、
すし詰めで通路からデッキまで人が寝ていたのを思い出します。
「消灯」は覚えていません。真っ暗はさぞや印象的だったでしょうが。

利尻・大雪・まりも、皆お世話になりました。

  • 2012/05/28(月) 00:26:08 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 道内夜行列車

<利尻51号>は稚内に定期<利尻>より先行しましたから、フェリーに乗継ぐ旅行者で混雑していましたね。
これを南稚内で降りるのは鉄道屋だけでした。
「消灯」での運転は、その翌年まででその後はなかったと記憶しています。
この夏の旅行中には3度程乗りましたが、毎回「消灯」でしたから、車掌個人の判断ではなく、そのような通達が出ていたのでしょう。

お世話になった夜行列車には、<すずらん>に山線夜行、それに帯広夜行-後の<からまつ>も加わります。

  • 2012/05/28(月) 03:00:14 |
  • URL |
  • wondergraphics #-
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