"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

七飯-大沼 (函館本線) 1981

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1972年に特急形として登場したはずの14系客車-座席車系列の、遅すぎた定期特急列車運用については、七飯-大沼 (函館本線) 1988で述べた。
対して、定期普通列車(快速を含む)への運用は三例あり、全て北海道内である。

最初の事例は、1981年2月の101・104列車<ニセコ>の同系置替にともなうもので、当時、この[函 1]運用は札幌運転区への滞泊に際しての出入区運転を客扱いしており、それは手稲-札幌(回送で苗穂)間の1843・1842列車として設定されていた。
置替は当然ながら、この列車を含むことになり、2月7日の101-1842/同 8日の1843-104より施行され、特に1843列車は手稲を08:00に発車するダイヤで、首都圏でもライナー列車のない時代に特急車両による通勤が実現していた。
夜間の1842列車は1982年11月15日改正にて、1843列車は84年2月1日改正にて、それぞれ客扱いが廃止され消滅した。

2例目は、そのライナー列車であり、1985年8月12日より稚内から到着の304列車<天北>編成を、そのまま手稲まで<ホームライナー>として運転した。これは86年11月1日改正でのライナー列車の振替まで継続された。
これへの乗車には乗車整理券の購入を要し純粋な普通列車とは言えぬかもしれない。

残るは、言わずと知れた88年3月13日改正より運転開始の<海峡>である。
札幌運転所[札11][札12]運用による201・202列車<はまなす>の青森における間合いを利用したもので、[青3123函3130青3133函3136青]の2往復が設定され、以後列車番号の変遷はあるものの、2002年12月2日改正による特急格上げ/電車化まで存続した。
後年には、<はまなす>編成ゆえドリームカーやカーペットカーも連結され、青函連絡船昼行便のグリーン席や寝台室の再来を思わせる青函移動の穴場的存在でもあった。
もう1往復、[函3128青3131函]が、50系5000番台車使用列車への増結車捻出のため88年4月までに(期日不明)函館運転所の14系に置替られたが、こちらは、51系5000番台の増備により89年3月11日改正にて終了している。

写真は、通称-藤城線の久根別トンネルを出て新峠下トンネルへのR800曲線上の104列車<ニセコ>である。
置替から間もない頃で、まだ旧客時代と同じ8両組成を保っていた。

撮影は、新峠下トンネル入口直上に架橋された国道5号線の跨線道路橋からである。大沼から徒歩で向かうには狭隘な大沼トンネルを抜けねばならず、大型車の通過には、それとの距離に身の危険を感じた。
現在では、これに隣接して新跨線橋が架けられ、改修した従来橋を森方面、新橋を函館方面車線に使用している。新跨線道路橋からも、これに近い画角は得られようが、その側壁とフェンスの高さには躊躇してしまう。

写真の機関車位置右に見える空き地は、藤城線開通まで存在した線路跡である。
これについては別項に譲る。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor105mm/F2.5 1/250sec@f5.6 Non filter Tri-X(ISO320)
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