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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

計呂地 (湧網線) 1979



かつて、駅には、あたりまえに国鉄職員としての駅員がいた。
駅舎や待合室や乗降場は奇麗に清掃され、出札窓口は整頓され、そして乗車券箱には整然と「切符」が並んでいた。
70年代後半以降の国鉄合理化政策では、まず運転要員としての人員削減が掲げられ、線区単位でのCTCの導入がこれを劇的に推進した。
閑散線区においては、列車の削減とともに閉塞区間の併合化による要員配置駅の削減が進み、80年代末に登場した電子閉塞装置にあっては、無人の列車交換駅を出現させた。
余談だが、北海道でいえば函館本線の山線区間のごとくに、営業面からの要求が先行したケースもあり、この場合は配置人員は運転要員であり、出札窓口は閉鎖され、乗客側から見れば「無人駅」同然と言う、誠に不自然な駅も短期間だが存在した。

駅員がいれば、冬には待合室にストーブが用意された。
ローカル線の撮影では、長過ぎる列車間隔を、ひっそりした待合室でやかんの吹き出す湯気の音を聞きながら過ごすのが、とても好きだった。
計呂地は、幸運なことに1987年の湧網線廃止まで有人駅であった。

サロマ湖、能取湖、網走湖といった海跡湖を縫うように敷設されていた湧網線だが、湖岸を走る区間は限られ、サロマ湖とは、芭露から計呂地の区間のみであった。
写真は、この区間にあった志撫子仮乗降場付近。湖に突き出して設置されていた漁業施設から撮っている。
列車は、925D網走行き。この時代で、既に単行運転である。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor28/F2.8 1/125sec@f8 Y52filter Tri-X(ISO320) Compiled by Photoshop CS3 on Mac




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