"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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小平 (羽幌線) 1972

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深川 (函館/留萠本線) 1971の続きである。

国鉄本社に通った理由は、もうひとつあって、それは鉄道電話であった。
小学校/中学校とクラスメイトの鉄道官舎に引かれた普通の電話ではない電話として、その存在は知ってはいたものの、国鉄外部の者が使えるとは思わずにいたのだが、それが*電電公社回線で言うところの公衆電話として国鉄本社ロビーに置かれていたからである。

*電電公社回線で言うところの公衆電話 - 回りくどい言い方だが、国鉄部内では電電公社の回線による電話自体を「公衆電話」と呼称していたので、このような書き方にならざるを得ない。電電公社とは日本電信電話公社であり、勿論現在のNTTである。

これにて、『国鉄PRコーナー』の資料で欠落していた線区や最新ではない情報を、関係区所へ問い合わせていた。もちろん、自宅の電話も使えた訳だが、この当時の長距離電話料金は眼の飛び出る程に高かったのである。
着信した側から見れば、鉄道電話による問い合わせゆえ、内部に関係する人間からと思われたのも予期せぬメリットではあった。
ただし、この当時において全国のほとんどの地域で自動化(ダイヤル直通化)を達成していた電電公社回線と異なり、多くの地区で交換台を呼び出す必要が在り、特に北海道の旭川局や釧路局管内に対しては大抵の場合、札幌交換台を通してさらに旭川や釧路の交換台を呼び出してもらうことになり、目的の区所に繋がる頃には、相手の声はそれこそ蚊の鳴くようであり、こちらも大声で怒鳴らないと話の出来ない有様ではあった。

鉄道電話は、例えば通票式閉塞器からのタブレットの取り出しに係わる駅相互間連絡など運転上の必要性から派生して、全国に敷設された鉄道線路に沿って架設の通信線にてネットワークされた回線であった。
戦前の段階で、既に自前の全国回線網を持っていたのは国鉄のみであり、警察電話の整備は戦後のこと、防衛庁(自衛隊)の専用通信網に至っては1970年代以降と聞いている。

ここ、小平駅への電話も札幌-旭川の交換台経由で、驚いたことに小駅にもかかわらず、その回線は駅長、出札、手小荷物、貨物と4本も用意されていた。多機能電話端末のない時代とあっては、端末一つひとつに番号を割り振らざるを得ない訳だ。これ以外に運転当直への直通があるはずだが、それは別の専用回線なのだろう。

列車は、小平蕊川橋梁上の1893列車羽幌行き。1970年の築別炭礦閉山による運炭列車の廃止以降に、一往復のみ残された貨物列車であった。
道内において川幅のある河口付近の架橋で、背景も含めてすっきりとした構図のとれる橋梁はそう多くはない。
根室本線釧路川橋梁、釧網本線濤沸川橋梁に日高本線の数例を見るのみだ。この小平蕊川橋梁は、海側からのポジションの取れる貴重なポイントであった。(後には、人工河川に架橋の室蘭本線新長万部川橋梁がある)

[Data] NikonF+AutoNikkor50mm/F1.8 1/250sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhptpshopCS3 on Mac.
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