"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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深川 (函館/留萠本線) 1971

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丸の内の国鉄本社ビル1階ロビーに『国鉄PRコーナー』なるスペースがあった。それがいつ頃開設されたものか知り得ないが、1970年の秋には既に存在していた。
同様のコーナーは、東北支社、後に仙台駐在理事室の管轄にて仙台市の国鉄ビルにも開かれ、全国で2例のみと聞く。
いったい、どのような層を対象に、如何なる意図で設置されたものか、まさかファンサーヴィスとも思えぬが、ここには国鉄を広報するパネル展示がなされ、様々なパンフレット類やPR誌が置かれていたばかりでなく、鉄道公報を始めとして全国の列車運行図表や車両配置表に運用表、優等列車編成順序表などの資料、さらには部内/現場向けに刊行された車両の解説書などの図書類が備えられ、カウンターに申し込めば閲覧が可能であった。

この当時の撮影の情報源と言えば、“ピクトリアル/ファン/ジャーナル”の三大鉄道誌は存在したものの、肝心の列車ダイヤや機関車運用となるとキネマ旬報社が刊行していた『蒸気機関車』誌に特集記事に合わせて折り込まれる程度であり、現在の『鉄道ダイヤ情報』誌の前身となる『SLダイヤ情報』の創刊も72年10月を待たねばならず、これとて年刊のレヴェルであった。

その状況下で、『国鉄PRコーナー』の存在は、まさに宝の山に違いなく、閲覧は出来ても複写は許可されなかった列車ダイヤの転記に、方眼紙持参にて足繁く通ったのは言うまでもない。
もちろん転記はそればかりでなく、当時ここで得た様々な資料は、その後の鉄道研究の出発点であり、一次資料として現在も活用させてもらっている。
(この項続く)

写真は、臨9781列車。赤平から留萠への運炭列車である。
ここで閲覧した運用表で、留萠本線の後補機付き列車は深夜帯のみと知り、深川での撮影を試みたものだ。
同じく配線図から函館本線の中線より下り線を横断して留萠本線への転線と推定して、本務機の煙も後補機の右奥で十分にラインライトに浮かぶと予想したのだが、凄まじいドレーンの蒸気で見事に裏切られたカットである。
(なお、1972年3月改正にて昼間の5783列車も後補機付きとなった)

余談だが、カウンターを担当されていた女性の方には、このコーナーが閉じられて文書課に移られてからも部内の情報源を紹介いただくなど随分とお世話になった。後年の寿退社の際には結婚披露宴にご招待にも預かった。今、ご子息も鉃道にお勤めと聞いている。

[Data] NikomatFTN+AutoNikkor105mm/F2.5 1/30sec@f2.5 Non filter NeopanSSS(ISO200)
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