"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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小沢 (函館本線) 1986

kozawa_03-Edit.jpg


銀山 (函館本線) 1982 で函館山線の没落に触れた。その続編でもある。

往年を知る身には、今の小沢は衝撃的ですらある。それでなくとも、二股、蕨岱から各駅ごとの信じ難い光景の連続に加えて、小沢には声も出せない。
その現況はWeb上にも多くの報告が在るゆえ詳細は記さないが、弘済会の売店も在った待合室と重要駅らしくスペースのとられた駅務室の、典型的な国鉄北海道型の駅本屋は既になく。その撤去跡に小さな待合所の建つ光景は、そこが小沢とは俄に信じられないものなのだ。それでも残された特徴ある木造の跨線橋が否応無しに現実を教えてくれる。何より違和感を覚えるのは、あるべき駅舎が無くなって駅前広場から構内が見通せてしまうことだ。
保線用に僅かに残る以外の側線の全て引き剥がされた構内は、植生に浸食されて一回りもふた回りも小さくなって見える。

幹線からの没落は、御殿場線(旧東海道本線)の例を引くまでも無く、道内でも過去に池北線(旧網走本線)、天北線(旧宗谷本線)、名寄本線の三例がある。これらは、鉄道輸送の需要拡大期に、それに代わる幹線の開通にともなってのことのである。函館や札幌からの長距離優等列車の運転がなくなっても、ルーラルな輸送に重要な地位を占め続けた。
幹線でなくなるとは、如何なることなのか。函館山線は、鉄道輸送がシェアを低下させた時代に在っての希有な事例を目前で見せてくれている。

写真は、幹線駅として最期の夏の光景である。構内は既に放置され夏草に埋もれつつあった。
列車は、荷43列車苗穂行き。客扱いは札幌までである。
山線にも50系51形客車が進出する中で、内地からの航送車を継送する函館発着の荷物列車は引き続き函館運転所の旧形客車の運用だったが、それでも、同列車の定番であった白熱灯照明のオハ35やスハフ32に替えて、14系化された急行列車から捻出のスハ45/スハフ44が充てられるようになり、後にはそれらの全検切れの代替として内地から転入のスハフ42なども組成された。
また荷物車もマニ50やマニ36に変わりないものの、84年2月改正/85年3月改正と続いた国鉄小荷物輸送の大幅縮小にて拠点駅の直行輸送が主体となり、荷扱職員の乗らない締切輸送に変わっていた。編成には締切便専用のマニ44も見て取れる。これは、[大航201]運用、遠く宮原客車区の配置である。
すなわち、函館山線の荷物列車は、ほんの数年前とは様変わりした姿で最期の夏を走っていたのである。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8 1/250sec@f11 SC44filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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