"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

塩谷 (函館本線) 1985

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小樽市塩谷における近年の最も大きな変化は、小樽市中心市街地との短絡路となる道道956号線(小樽環状線)の開通であろうか。この道道は、こともあろうに塩谷の駅前をかすめて、その東方で函館本線をオーバークロスするのだ。

1960年代半ば、身近だった小樽からオタモイへの勾配の線路端にカメラ片手に出没していたものの、気持ちは、より遠くの稲穂峠や上目名に飛んでいて、先輩諸氏の通った塩谷の蘭島方、石狩湾を俯瞰する斜面を知るのは後年のことである。
この頃の塩谷は、小樽から峠を越えた山中の印象で、実際に石狩湾へと傾斜する緩い斜面にありながら前山があって海は望めない。集落は駅前の傾斜地に樹木に埋もれるように、こじんまりと存在していた。
ただし、その駅は長い有効長と中線を持つ規模で、市街地を避けて創業したであろう駅裏のガス工場への専用線も分岐していた。集落規模には不釣り合いな広い待合室の重厚感のある北海道型とでも言うべき駅本屋に跨線橋の存在と合わせて、重要駅の証であったと思う。

良く知られるように、1967年に日本放送協会にて放映された連続ドラマ『旅路』の舞台のひとつとされ、実際にロケ撮影も行われたようであるが、今日と異なり、観光客の押し寄せるでなく、土産物屋の出店するでなく静かなものと記憶している。決してローカル駅ではなかったこの時代に駅舎内での撮影は困難であり、それらのシーンはスタジオ撮影だったはずである。

写真は、於汰萠峠を下る102列車<ニセコ>である。
この3月の改正で、基本編成が4両に減車され、多客期のみ7両までの増結とされていた。ここからの捻出車が宗谷方面急行の14系置替の財源となったのである。
また、1984年2月改正にて郵便車の取扱便が廃止されており、[北東航22]運用のそれはオユ10から護送便用のスユ15に変更されていた。
なお、長万部までの重連牽引は、この改正後も維持され、補機運用の廃止は翌1986年の3月3日改正であった。

この頃になると、写真の列車後方、樹木に隠されている斜面の国道5号線沿いには宅地が広がり始めていたが(住宅の屋根が一部見える)、塩谷駅周辺に及ぶものでなく、いまだ標高54メートルに隔絶された地ではあった。

この撮影ポイントは小樽環状線の建設にて削り取られた丘の、まさにその位置にあたる。

[Data] NikonF3P+AiNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f8 FujiSC56filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptuerOne5 on Mac.
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