"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

礼文 (室蘭本線) 1995

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虻田郡豊浦町礼文の集落は、噴火湾形成の過程で生じた断層崖に開口した、わずかばかりの海岸から山地に食い込むように北へ3キロばかり続く、ゆるい傾斜地に散在している。
北海道の地峡部とも言える渡島半島の付け根に位置するところから、冬には後志からの季節風の通り道となり、噴火湾に面しながら降雪の日が続く。道内でも比較的温暖とされる同じ豊浦町の中心地区へは、わずか10キロ程の距離だが、室蘭本線が大岸トンネルで抜ける山塊が、ここでは渡島と胆振の気候を分け隔てているように見える。
礼文の地形は、この狭い傾斜地内でも気象に変化をもたらし、山側にあたる室蘭本線の大築堤付近での悪天は海岸線で晴天のことも多々経験した。

礼文の漁師たちの家々は、海岸線に沿ってひとつの集落を形成しており、養殖のホタテ漁師が大半だ。
断層崖で陸路を絶たれた長万部とは海上でならば行き来もありそうなものだが、かの漁師たちとは漁場が隣接するだけに、昔から仲は良くないのだ、とは駅裏手に在った「民宿礼ぶんげ」の主人に聞いた話だ。

ここは、長万部や洞爺は勿論のこと豊浦からも距離が在り、早朝からの行動を希望すれば宿泊を余儀なくされた。
かつては寝袋での駅ネもしたけれど、近年では旅館泊まりにしていた。
駅前の「豊年旅館」は蒸気撮影の時代から鉄道屋には高名らしいが、80年代以降では夏場の海水浴客以外の泊まり客は鉄道屋ぐらいしかいなかったのではなかろうか。女将が高齢となって掃除も行き届かぬ風ではあったけれど、それでも午前3時起床のこちらに合わせて起き出して食事と昼用の弁当を仕出してくれたものだ。
踏切を渡ったところに在った「今野旅館」も同様で、経営者夫妻に良くしていただいたが、こちらも高齢のため89年には廃業してしまった。

その頃に開業を果たしたのが前記「民宿礼ぶんげ」で、奥さんが礼文の出身で室蘭での勤めを脱サラしてことと伺った。ホテルではなく畳に布団の旅館形式なのだけれど、居心地良く一週間程連泊したこともある。ご主人には、早朝に撮影ポイントまで、昼には豊浦あるいは洞爺までも自動車で送っていただくなどした。
後に、豊浦町の町会議員も務められたはずだが、突然廃業してしまい消息は聞き及ばない。

ここは、噴火湾に没する断層崖区間の静狩側と対を成す築堤である。静狩 (室蘭本線) 1992
撮影地として、つとに高名な築堤でもある。
かつては、国道37号線の高度のある位置から、このカーブした築堤のその全体を見渡せたものだが、これは国道下側の斜面の樹木の成長により困難となった。なによりも、築堤自体の法面が89年春に伐採/整備されて以来20年に渡り放置された結果、樹木が繁茂し列車の隠されるようになってしまっている。
この撮影地点は、国道切取り部の法面上部なのだが、例え今、築堤の樹木が伐採されたとしても、今度は直下にあたる国道脇の杉木立が成長しており、もはや失われた撮影ポイントである。

列車は、5列車<北斗星5号>。
画角内で白く映るのは、エゾヤマザクラである。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8 1/500sec@f8 FujiSC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.





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  • 2016/02/04(木) 14:26:42 |
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