"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

小沢 (函館本線) 1978



かつて、停車場の夜は明るいものだった。
機関区や客車区、電車区などを構内に隣接する拠点駅は勿論のこと、中間駅にあっても夜間に構内作業の発生する駅には照明の設備がなされ、構内とその周辺を照らし出していた。
運転速度の低いこともあるが、Tri-Xフィルムをもってすれば、増感に頼らずとも明るいレンズと絞り開放にて十分に走行写真撮影が可能な程だったのだ。

ところが、70年代後半以降の国鉄の合理化施策は、車両配置区所の集約化と合わせた運用の見直しにより、駅での分割併合といった解結作業を激減させ、加えて84年2月改正における車扱集配貨物列車の廃止にて、貨車の入換作業もまた、ごく限られた駅にて見られるのみとなるに及んで、構内照明は次々に消されていったのである。
88年の6月、この春に運行を開始した本州連絡寝台特急の上り列車の走行を撮影すべく、長万部の構内南側に立ったが、函館山線分岐側にて蒸機を後追いした十数年前とは様変わりした「暗さ」に閉口し、停車中のバルブに切り替えたものの、これとて、重連の牽引機を照らすのは、僅かな構内照明ではなく駅前商店街に並ぶ街灯の明かりであった。

ここ、小沢も本線列車に対する岩内線の分併作業や蒸機への給水の便からか、構内の上下方に背丈の低いながら照明塔が存在した。
列車は、岩見沢から倶知安への134列車。この、およそひと月後に道内に初配置の50系51型に置替られた。

[Data] Nikon F2+AiNikkor50mm/F1.4 1/60sec@f1.4 Tri-X(ISO320)






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コメント

こんばんは。
数年前に小沢駅を訪れる機会があり、今も残る気の質感の優しい跨線橋を眺め、その壁に掛かる、職員一同と書かれた駅の絵を眺めたものでした。
構内に岩内線の跡を見つけようにも、雪に埋れた中では既にその痕跡も分からず、下調べをあまりせずに旅するのが好きな私には、往時の列車がどちらに向かって走っていたのかも分からないままでした。
そして昨年、再びこの駅を通過する機会があり、列車の窓から改めて見たものの、やはり失われた鉄路を見出すことはできませんでした。
今は、この駅の夜は暗いのでしょうね。
峠と峠に挟まれたこの駅が、交通の要衝であった時代自体が、もはや過去のものとなり、それを語ることができる場が容易には見つけられなくなっているように感じます。
社会実験の一環で函館山線に特急列車が走ったりもしましたが、新幹線を伸ばす前提でのこと、函館本線でさえ、栄華を思い出せる人は減って行くのでしょう。
私なりに、今のこの駅と鉄道路線を見ていきたいと思った次第です。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

  • 2014/01/03(金) 01:15:50 |
  • URL |
  • 風旅記 #O7xVy9HA
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

随分と古い記事にまでコメントをありがとう御座います。
聞くところによれば、あの跨線橋には遂に使用停止の措置がとられたようです。
列車設定数からも必要はなさそうなのに、今日まで生き延びたのが不思議なくらいでしたが、
補修の及ばない程に老朽化の進んだと云うことでしょうね。解体も近いのでしょう。

この停車場の拠点化や集落の発展は、稲穂・倶知安の峠の勾配の底に当たる給水駅に加えて、岩内線の接続による岩内港に揚げられた鰊(およびその加工品)や国富の製錬所に送られる鉱石の輸送がキーポイントでした。往年には、昼夜問わずに貨車中継が行われていたはずです。それら全てが失われれば、衰退は免れないのが道理です。

この函館山線は、新幹線の並行在来線などとされながらも、それに移行する優等旅客など存在しない理解に苦しむ区間です。季節特急の運行を、そのアリバイつくりとするのは穿ち過ぎでしょうか。

  • 2014/01/04(土) 15:02:50 |
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