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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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音別 (根室本線) 2016

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釧路市がWebsiteで公表する音別地区の近年のヒグマ出没情報に拾うと、2016年の夏、根室線の線路沿いでの目撃報告が続く。

2016-06-19 JR根室本線直別駅より釧路方面寄りへ、約0.4キロメートル地点における線路付近(目撃)
2016-06-20 JR根室本線直別駅より釧路方面寄りへ、約1.5キロメートル地点の線路付近(目撃)
2016-06-21 JR根室本線尺別駅付近の海岸(足跡)
2016-07-05 JR根室本線尺別駅から釧路方面寄りへ、約2.2キロメートルの海岸付近(目撃)
2016-07-06 JR根室本線尺別踏切より釧路方面寄りへ、約0.6キロメートルの線路付近(目撃)
2016-07-19 JR根室本線尺別駅から釧路方面寄りへ、約2.0キロメートルの線路付近(目撃)
2016-07-21 JR根室本線尺別駅から釧路方面寄りへ、約1.0キロメートルの線路上(目撃)
2016-08-03 JR根室本線尺別駅付近の海岸(目撃)
2016-08-08 JR根室本線尺別駅から釧路方面寄りへ、約1.8キロメートルの線路付近(目撃)
2016-08-13 JR根室本線尺別駅から釧路方面寄りへ、約1.5キロメートルの線路付近(目撃)
2016-08-16 JR根室本線尺別駅から釧路方面寄りへ、約1.2キロメートル地点の線路付近(目撃)

お気付きの通り、大半が尺別から音別川橋梁までの区間であり、ここを訪れる鉄道屋がレンズを向ける定番の被写界と云うことになる。目撃は何れも早朝や夕刻に夜間であり、国道を走るドライヴァーや夜なら列車の運転士の報告による。
ヒグマの生態など門外漢も甚だしいのだが、これらはどうにも同一の個体に思えてならない。ヒグマが徘徊するのは、繁殖目的で無ければ採食のためであろう。彼(彼女?)は、6月の半ばに食料を探して後背の丘陵地から直別付近に現れ、近くの山林と往復しながら、直別原野東3線の踏切あたりより海岸を目指し、海成段丘崖直下を汀線沿いに尺別に向かったと、報告には読める。
いったい、堆積が進んだ海岸湿原であるそこで彼が何を見つけたものか。身近なペット動物としてのネコやらイヌもそうであるように、一絡げに犬猫ではなく、個体ごとに性格や好みが違うのはヒグマとて同じであろうから、余程に気に入った食料に巡り合ったに違いなく、規則正しくとも見える出現は付近の山林とを縄張りに一夏の餌場のひとつとして巡回したと思えてならない。とは云え植物の実には早かろうし、音別川の河口付近に鮭が接近するにも早い。その方面にも疎いけれど、道内でも自生しているはずのハマボウフウの類だろうか。
ここでの「線路」は地点特定のランドマークに過ぎないから、夜行性の彼は一晩中に一帯を徘徊したのだろう。目撃や痕跡が記録されぬだけで、鉄道屋が立ち位置にして居る、通称の「尺別の丘」や「音別の丘」も当然に行動範囲だろう。いや、そこの山林が昼間の隠れ家だったのかも知れぬ。

上のデータを知った上で訪れた2017年の初秋、未明の徒歩に国道から斎場へ上がる途中のこと、視界に向かい来る黒い個体を認めて戦慄したものだった。腰を抜かした鉄道屋は、接近して来てエゾシカと知るのだが、当に背筋が凍る思いだった。
と言うのも、Websiteにはその年7月7日早朝の、「国道38号線を音別橋から帯広方面へ約0.5キロメートル地点の道路」との目撃報告も見ていたからに他ならない。門外漢には全くの推定ながら、前年に味を占めた彼が翌年にも現れて不思議は無さそうに思えたのである。たまたまに「線路」周辺では「目撃」されなかっただけなのだろうと。

此処へは、1970年代から幾度と無く訪れているが、ヒグマの出没なぞ考えたことも無かった。過疎と裏腹に人間の生活域が集約されて行く中で、彼らは原始の行動圏を主張しつつあるのだろう。縮小することは無い人間のそれとのクロスオーヴァーが各所で頻発していることになる。
黎明にホッキ漁の漁船と並走するのは、2095列車。彼が被写界に立ち現れる4ヶ月前の撮影である。

さて、音別より東側、釧路方の海岸線での目撃情報は件のWebsiteに記されていない。けれど、それは旧国道が木造橋の腐食で通行禁止となっている昨今には滅多にヒトの立ち入らぬゆえとも思え、2017年の10月9日夜には、列車乗務員による市道馬主来線との波若(ヤムワッカ)踏切付近線路上での目撃が報告されている。海岸線までは直線で500メートル程である。


[Data] NikonD3s+AiAF Nikkor 85mm/F1.8D 1/125sec@f2.8 NONfilter ISO6400 W.B. 3450 Developed by CaptureOne8 Edit by PhotoshopCC & Photoshop ClassicCC on Mac.


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落部 (函館本線) 1988

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森を過ぎた線路は、海岸線に迫る段丘崖と汀線との間の僅かな平地に路盤を求め、時には段丘に隧道を穿って通過して往く。この段丘は海成段丘であり、この噴火湾西岸域には海岸線とほぼ平行に5面の段丘面が認められると云う。
地質学上の名称とは不可思議で、通称としても定着したものが無い。研究者らが論文ごとに付名しているように見える。ここでは1978年の地質調査所北海道支所の石田正夫による報告に従うと、その5面とは海岸線寄りから、海抜30メートル以下の森段丘面、同じく20〜70メートルの落部段丘面、40〜120メートルの山越段丘面、そして80〜200メートルに達する野田追面に200メートルを越える境川面である。後者の2面は成立の時代から谷の浸食が進んでおり、段丘面としての平坦面を最早維持していないので、単に(かつての)面と扱われている。地形図からは内陸に続く丘陵地ないし山地としか読めない。
落部川の扇状地を挟んで海面への急崖を落とし込み、現在にかつての鉄道路盤を国道5号線が通過しているのは、もちろんに落部段丘面であり、そのすぐ背後、一段高く丘陵状に見えるのが山越段丘面と云うことになる。そして、石倉側でのイナウ岬先端と野田追の海岸平野に低く続くのが森段丘面であろう。森段丘面の離水がもっとも新しいのだけれど、それとて更新世と云うから人類誕生の彼方である。

落部の前後区間が古から鉄道屋を集めたのは、駒ケ岳を正面に噴火湾を望む落部段丘面に容易くポジションを取れたロケーションからに他ならないけれど、今に思えば、これに加えて石倉-落部間が1958年12月10日の海線への腹付による複線使用から、落部-野田追間が1960年7月5日に単線のままながら、共に自動信号が稼働していたことも事由のひとつだったろう。そこからは、単芯の通信線を幾本も装架した通信線柱、所謂ハエタタキが、この早い時期に一掃されていたのである。
キネ旬が発行していた「蒸気機関車」誌に見たものだったと思う(探せば見つかるだろうが、とても書庫を漁る気にはなれないで居る)。東野の駐車スベース、当時には複線化工事のバックヤードとしての役目終えたばかりの国道脇用地から、冬日の朝に逆光の白煙を引くD52蒸機を画角手前に後追いしたカットは、それは美しく、工事直後のせいもあろうが、広々とした空間が構成されていて、遠征初心者を誘惑するに十分だったと覚えて居る。

同じポジションに立ったは良いが、画角のトレースすら出来なかった新参者から十数年を経て、ここでは本州からの寝台列車群を迎えることになった。かつてには、いつかは実現するとは思いつつも夢物語に過ぎなかった被写体である。
写真は、6003列車<北斗星3号>。
個室式寝台車や食堂車が組み込まれるのは、このひと月ほど後のことで、B寝台者のみの短い編成を前提に第3落部トンネル出口寄りの立ち位置を選んで居る。国道から斜面を登っての位置は、海面からの比高40メートル程となり、まさに落部段丘面なのだろう。肝心の駒ヶ岳は蝦夷梅雨に煙る。


[Data]  NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S  1/250sec.@f5.6  Fuji SC48 filter  Tri-X(ISO320)  Edit by LightroomCC on Mac.



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