"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

濁川 (渚滑線) 1972

syokotsu-Edit.jpg

これだけ北海道へ通っていても、そこの国有鉄道線の全ての線区を撮ってはいない。勿論、1980年代に相次いだ日本国有鉄道経営再建促進特別措置法に基づく地方交通線の廃止以前の話である。
これで、その全てが特定地方交通線とされた行き止まり線区においては、その貨物列車の設定は、蒸機の時代においてもいつ走るや知れぬ臨時であったり、定期のスジが引かれていても運休の多く、またそれの設定すら無い線区も存在して撮影を諦めていたのである。貨物列車のなくなってからは単行の気動車が往復するばかりとなって、どうにも食指が動かず、結局のところ美幸線や相生線、富内線は足を踏み入れることなく終わっている。
列車回数、即ち撮影チャンスはそれなりに在ったのだけれど、道央で函館本線から分岐していたヤマ元への運炭線の多くも撮っていない。これらは、その沿線のロケーションがどうにも気に入らなかったのである。
対して、車窓からロケハンしてポイントを見つけておきながら、ついつい撮りそびれてしまった線区もある。長大線区だった広尾線に池北線である。池北線は、それが第三セクターの経営に移行した後に訪問を果たしている。

撮影の前には一通りロケハンをするので、大半の線区/区間は乗ってはいる。それでも道内線区完乗に至って居ない。それが目的ではないゆえだが、上記の三線全線の他、ロケハンの都合上線区の末端部を乗り残してしまうのだった。瀬棚線の北檜山-瀬棚間や標津線の中標津-根室標津間、名寄本線の中湧別-湧別などである。
現存の線区でも、江差線の湯ノ岱から先は未だに乗らず仕舞いでいる。

渚滑線も、その手前に白樺の大きな独立樹を見つけて濁川で降りてしまい、北見滝ノ上までは未乗のままとなった。
濁川から線路上を20分ほど戻ったそのポイントは、白樺の木を蒸機と並べる構図を想定してのことだったけれど、背景がどうしても気になって、空に抜いてしまった。蒸機の黒をバックにして分かるけれど、降雪の空である。

ここの貨物列車は、北見滝ノ上までの一往復設定で、ほぼ毎日に財源を持って運転しており、名寄本線と共通運用にて名寄機関区の9600形が入線していた。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F1.4 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
スポンサーサイト

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。