"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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木古内 (海峡線) 2008

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何度か通過したことのある過日の木古内構内の様子は、配線略図が手元に在って知れるのだが、江差・松前線列車の分割併合の僅かな合間に眺めただけには、実見の記憶はあまり定かでない。駅本屋に接した乗降場が不自然な程に幅の取られていたのと、幾本もの側線を擁した構内が印象に残る程度である。入場券を求めて窓口まで訪ね、アルミ製となっていた建て付けの悪い入口引き戸を抜けて駅前広場に出たのは覚えているが、肝心の本屋の記憶が無い。Webを手繰って写真を探し出してみれば、これと云った特徴の見られぬ安普請な姿には無理も無いと云うものだ。
略図に見る、本屋に接する1番線と島式乗降場を挟む2・3番線の配線は、3番だけが江差線としか繋がっていない。この当時のダイヤで木古内-江差間列車は始発・終着の1往復だけだったから、主には日中の函館との区間列車の折り返しに専用されたことだろう。大半だった江差方面と松前方面の併結列車は1・2番線に着発したことになる。
余談になるが、ここでの併結順位は、下りが松前行き前併結で、上りは江差発が後併結に統一されていた(上下は海峡線を基準に改められた現在とは逆である)。つまりは松前からの編成なら函館で折返して、今度は江差行きとなる循環運用が組まれており、運用距離を平準化する工夫だったと思う。
この当時にも、廃止された函館機関区木古内支区の検修庫が残され、数両の気動車が仕業を待っていたのは覚えている。

側線の並ぶ構内は1930年10月25日の開駅当時に、木古内が林業の拠点だったゆえである。構内北側には製材工場が進出し、檜山南端の山林から切り出された木材は構内に隣接する土場に集積、製材となって貨車積みされたのだった。木材とは勿論に「檜山」の由来ともなった原生林のヒノキであり、また戦後には拡大造林政策下にて急増したスギでも在った。和人の移住・定住が早かったこの地域で内地から持ち込まれたスギの造林は1800年代初頭までには始まっており、現在にも木古内町・知内町・福島町・松前町の人工林蓄積量は、スギが道内での主要な造林樹であるトドマツを上回っている。
1988年の海峡線開業に合わせての乗降場増設や青函トンネル関連の救援基地設置は、国内林業の衰退にトラック輸送への転移進展に遊休化していたこれら貨物設備や機関区用地を活用してのことであり、新幹線駅舎建設も同用地を転用してのことである。

木古内へ接続する海峡線には、駅手前に将来の新幹線線路との分岐を予定した線形が用意されていた。新幹線設備も建設された今、この分岐点は何と呼ばれるのだろう。運転上には新在ともに木古内の場内扱いであろうから、敢えて付名の必要はないのかもしれない。
その分岐線形を高架から降りてR=600の反向曲線で木古内構内へ向かうのは3099列車(現ダイヤでは99列車)。福岡タから遥々とした行路である。奥羽本線の矢立峠で待てば<あけぼの>の露払いのようにやって来た列車だが、ここでは夕空を背景に下り来る。
日本貨物鉄道が新製したED79 50番台のパノラミックウィンドウが5度傾斜した前頭形状は、ED93に貫通路を追設したED77901を思わせ、改造図面を使い回したような輪廻を面白く思ったものだった。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/500sec@f5.6 NON filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160/0.5EVpush] Edit by LightroomCC on Mac.

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木古内 (海峡線) 2005

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道南の紅葉黄葉は10月下旬である。夏の長引いた年ならば、それの11月にズレ込むこともある。ところが、ここでの11月初めと云えば秋と冬の気候の迫間でそれは決して安定しない。太平洋高気圧の衰弱にともない寒気の南下して、低気圧は頻繁にオホーツクを東進するようになる。
この年も紅葉黄葉前線の遅れの報に、仕事を遣繰りして渡道を先送りしたものの、途上に立ち寄った矢立峠では雷鳴轟く豪雨に出会い、渡道初日の大野平野でも、そこは江差側からの風の通り道となって低い脊梁山地越えで生成された雨雲が次々と通過する有様なのだった。もう少しだけ季節の進めば、それは降雪をもたらす雲である。
翌日に早朝から立った小沼畔でも驟雨に襲われ続け、携帯電話をWebに繋いで雨雲情報を得てみれば、直線で40キロばかりの津軽海峡沿岸が雨雲ルートから外れるのを見て取って早々と転戦を決めたのだった。

かつて、木古内の江差/松前方は木古内川橋梁まで江差線と松前線の単線が並列しており、新幹線規格の海峡線から在来線への連絡線は、左右に分岐して往くこの2線の間に割込む形で建設され、並列区間をそのまま複線に転用する配線が選ばれた(*)。
江差線はこれの下り線から、松前線は上り線からの分岐とされたのである。けれど、松前線は海峡線開業を待たずに廃止となり、そこに挿入された分岐器は両線に列車を捌くことなく撤去されてしまった。
(*) - 但し、その際にこの区間に存在したR300の反向曲線は改良され、木古内川橋梁が川上側に架替えられている

写真は、海峡線の新在分岐点からの在来線接続線を下る3063列車。画角外左に松前線の軌道跡が残る。
全ての貨物列車が木古内への運転停車のため、ここで速度を緩める。それは、滑走防止に撒かれた砂を巻き上げての制動になっていた。
日照のあった木古内だけれど、この時既に北側に局地的な寒冷前線の接近が黒雲となって見て取れ、光線はその上辺からスポットライトの如くに差し込んでいた。それはレンズ鏡筒に直射してハレーションを引き起こすが、低くてキリ切れない。
これの撮影直後、小さな寒冷前線はここまで到達し、突風をともなった降雹に襲われた。

[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D 1/250sec@f5.6 Non filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by CaptureOne5 on Mac.

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