"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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白符-渡島吉岡 (松前線) 1982

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日本近海を回遊するクロマグロは、5月から6月に噴火湾そして積丹半島付近を北限に北上し、同地に滞遊して10月から南下を始めると云う。津軽海峡もそのルートであり、1800年代後半から主に下北半島北辺一帯で定置網により漁獲されていた。それは豊漁で一日に数百尾の水揚げも珍しく無かったらしい。
これほどの資源量が続いたとも思えないが、1900年代以降も一定の漁獲の在ったそれの極端に低下するのが1970年代以降である。学術研究のなされたでは無いようだが、青森県大畑町の漁協関係者によれば青函トンネル掘削工事の影響と云う。
同漁協のデータでは、トンネルの本抗工事に着手された1971年から津軽海峡での漁獲高は減少傾向を見せ始め、先進導抗が海峡中央部に達した81年頃から極端な低下を示し、本抗の貫通から88年3月の開業時期にかけて底を打った後、徐々に回復しながら90年代半ばに至って驚異的に復活を果たしている。大間の一本釣りによる漁がマスコミを通じて注目されるのは、この時期である。
このスズキ目の回遊魚は、それがゆえに微細な振動にも反応するらしいのだが、海底下100メートルで行われた工事振動の影響にて海峡の通過を回避したことには驚かされる。

下北側の大間周辺に続いて、北海道側漁獲基地の戸井近辺も「戸井マグロ」としてブランド化に成功している。もとはどちらも津軽海峡のマグロである。近年では西側の海域での漁獲に松前と津軽半島の小泊が名乗りを上げて追随している。その漁には、福島や白符、吉岡からの出漁もあるようだ。

写真は、福島町宮歌の集落を眼下に宮歌川橋梁(164M)を渡る4823D、松前行き。
後位側のキハユニ25は道内閑散線区の気動車化に際して1958年に6両が製作され、キハ21の基本設計により「バス窓」車である。この江差・松前線と日高本線に長く専用された。早い時期に1両を火災事故にて失い、1962年に代替で追加製作されたものの、それはキハ22に準拠して別形式程に外観が異なる。この1両は天北線にて運用された。

松前線へは1981年の冬に初めて入り、五万分の一地形図で当りをつけて白符-渡島吉岡間に降りた。翌冬の再訪では松前までロケハンした上でも、やはりこの区間を選んでいる。
その地理的位置により車窓に津軽海峡から日本海を見る線区の印象があるが、実際には福島峠に吉岡峠の山越え区間が長く、海沿いとなるのは、この白符-渡島吉岡間に渡島大沢付近の一部に限られていたのである。
ここは、わざわざ25パーミルの勾配を設け、海岸線を避けて20メートル程の施工基面を保つ縦断線形が選ばれていたから、谷には高い橋脚で架橋され、その下の小さな集落とともに良い被写体になっていた。

参考資料 : 海洋政策研究財団ニューズレター 2001.09.20発行

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/500sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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白符-渡島吉岡 (松前線) 1982

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ロバのパンである。
道民には馴染みが深い。70年代の始め頃の北海道では、山崎製パンでもフジパンでも敷島製パンでもなく、日糧製パンとこのロバパンがシェアを二分していた。どちらも札幌に本社を置く製パン/菓子会社である。(現在でも状況は変わらぬものと思う)

札幌を離れ、その後の度々の渡道でもロバパンには出会わずに居たものだから、道南の海辺の小集落で食料品店のその看板を見た時には懐かしさとともに、その健在に嬉しくもあったのだった。

内地に転居して、ずっと後になってからだけれど、ここにもロバのパンのあることを知った。同世代の友人知人に聞けば、それぞれ出身地の異なるにもかかわらず、幼少時代にロバに牽かれた馬車でのパン売りを見るなり聞くなりの経験があると言う。札幌のロバパンにそのような記憶はなく、どうやら別のロバパンらしいのだった。
当時は、これを調べようも無く忘れてしまっていたのだが、ある日神田神保町に在った地方小出版流通センタで、京都のかもがわ出版の発行になる『ロバのパン物語』(南浦邦仁著)を見つけて謎が解けた。
内地で記憶されるロバのパンとは、1950年代後半に京都を本拠地として起業した株式会社ビタミンパン連鎖店本部の、その名の通り全国規模のチェイン店、および追随した同業他社によるものだったのである。ビタミンパンとは蒸しパンだったこと、馬車を牽いたのはロバではなく馬(ポニー)だったことも知れた。

同書に明確な記述は無いものの、当然北海道にもチェイン店の展開はあったものと思われる。既にロバパンのあった札幌は意図的に避けたのであろうか。
本物のロバの牽く移動販売車によるパンの巡回販売は、札幌所在の石上商店が先行しており、これは戦前のことと記録されている。ロバパンの元祖である。元祖なのだけれど、札幌と内地の全国各地となるとどうにも分が悪いのが、札幌出身者としては残念ではある。
このロバのパン石上商店が、現在の株式会社ロバパンの前身にあたる。同社によれば、戦前に販売車を牽いたロバが現在キャラクターに使われている「ウィック」とのことだ。
さて、驚いたことに株式会社ビタミンパン連鎖店本部も京都市北区上賀茂にひとつの店舗として健在である。勿論看板商品はロバのパンである。
南北2系統のロバのパンが、2012年の現在も共に盛業中であることは慶賀に堪えない。

松前線のこの区間へは前年に続いて再訪している。そこの小さな集落の情景がとても気に入ったからだった。白符 (松前線) 1981
国道228号線のバイパスが豊浜漁港の上を乗り越えてしまっているのだが、そこからは道南らしい穏やかな海辺の家並みが見て取れた。ロバパンの看板を掲げた村上商店は、おそらくここ豊浜集落にただ一軒の食料品店兼雑貨屋であろう。
列車は、貝取澗川橋梁(98M)上の4825D松前行き。

[Data] NikonF3HP+Distagon 28mm/F2.8 with Adapter 1/500sec@f4-5.6 FujiSC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.

白符 (松前線) 1981

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北海道南端に位置する松前線と木古内以遠の江差線は、内地から向かえば最も近場の線区に違いないけれど、連絡船を降りて奥地へと気の逸る身から、ついつい後回しとなり、最初の訪問は81年の冬になってからだった。

この時既に、五稜郭から木古内への区間は将来本州連絡線の一部になるとアナウンスされており、海岸線をトレースする茂辺地や渡島当別あたりも気になったが、むしろ廃線の噂された木古内以遠へ向かうことにした。
白符での下車はあてずっぽうで、地形図でこの先の宮歌付近に比較的長い橋梁(宮歌川橋梁-164M)を見つけていたからに他ならない。五能線の岩館あたりのイメージだった。

20分程の徒歩にて到達したそこは、寒村でもなく好ましい漁村で、予定していた山越え区間への転戦を中止して一日を、ここで過ごした。

写真は、宮歌集落背後のクマ笹の斜面をよじ登って撮影したもので、あまりの傾斜に三脚を立てられず、足を踏ん張りながらの手持ちだった。

列車は4828D函館行き。
80年10月の改正で、キハ21/22の遜色急行として知られた<松前>は廃止されており、その後になって、同改正にて余剰となったキハ27の編成が入線するのも皮肉である。
松前線へは、この翌年にも再訪したものの、結局それが最後となってしまった。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f11 Kodak No,12filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.

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