"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

碧水-北竜 (札沼線) 1967

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先頃、北海道旅客鉄道より札沼線札幌医療大学までの2012年6月1日からの電車運転開始がアナウンスされた。JR北海道プレスリリース
所要車両の投入遅れによる暫定的電化開業につき、既設列車の置替と一部列車での運転時分短縮に留まるが、10月のダイヤ改正では全運用の置替と増発に加え、函館本線/千歳線との直通列車も設定され、本格的に札幌圏ネットワークに組み入れられることだろう。

北海道旅客鉄道は、札沼の「沼」に接続していないのを気にかけてか、1991年に「学園都市線」なる路線愛称を付与し、これに統一して使用している。命名後20年を経過し利用者には広く受け入れられているだろうが、かつての札幌在住者としては、その現在の高架複線の続く姿を実見しても、なお違和感を禁じ得ない。関西の類似愛称線名と取り違えることも多々ある始末である。

「沼」まで繋がっていた60年代後半の札沼線は、篠路付近に団地が造成されて東篠路が開業するなど現在につながる萌芽も見えたものの、札幌市街地の外縁をトレースした後に石狩平野が尽きるまで北上するルーラル鉄道に過ぎなかった。
列車系統は、ほぼ中間の浦臼で分断されており、直通列車の設定はなかったと記憶する。同駅下り方の鶴沼-於札内間にあたる桑園起点67K000Mに札幌鉄道管理局と旭川鉄道管理局の局界があり、函館本線の並行線で全線を乗り通す乗客もないゆえの措置と解せられる。以南区間を札沼南線と通称し、以北を北線としていた。これは、全線開通前の呼称でもある。
南線列車は苗穂機関区のキハ21/22が使われ、北線側は深川機関区の機械式内燃車キハ05が深川から直通で入線していた。

札幌市街の住宅地を曲線で縫って走るのは、当時の千歳線と実は大差はなかったのだけれど、北側へこっそりと分岐して行く雰囲気が気になったのか、桑園から市街地はずれの新琴似まで乗って、同駅駅前に達していた札幌市電鉄北線で札幌に戻る「試し乗り」を何度か楽しんでいた。余談だけれど、この鉄北線も路面ディーゼル車が運行する全国的に例のない非電化線で、しかも北24条あたりから新琴似駅前までは路面が未舗装という「ローカル市電」振りだった。

写真は、未乗であった「沼」に繋がっていた区間まで遠征した際のカットである。石狩川右岸の平野を北上するだけの札沼線には田園風景ばかりが続き、これと言ったポイントは見つからず、ここも線路脇に繁茂する雑草の向こうには水田と空が広がるばかりなのだった。

列車は 8692列車、深川発の桑園行きである。深川機関区の9600形蒸機に牽かれたワムとトラによる思いのほか長い編成で現れた。
この当時、定期の貨物列車は、このほかに桑園から石狩当別間までの区間貨物の設定があり、こちらは苗穂機関区に3両配置のC11が入換え兼用で充てられていた。

今になって調べてみると、この頃の貨物扱い駅は以下の通りであった。ただし、この全てで定期的な出荷ないし到着があったかはわからない。
新琴似 篠路 石狩太美 石狩当別 石狩金沢 中小屋 石狩月形 浦臼 新十津川 雨竜 和

[Data] NikomatFT+ AutoNikkor35mm/F2 1/500sec@f8 Y2filter NeopanSS(+1EV push)



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