"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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国富 (岩内線) 1979



限られたスケジュールにて北海道を効率良く撮影するには、夜間の移動が欠かせなかった。
それは、都合の良いことに、均一周遊券の利用を前提とした宿泊費の節減策にも有効だった。
同じような時代に道内を旅した方ならば、似たような経験をお持ちではないか。

その使い方には、いくつかのパターンがある。セオリーと言っても良いかもしれない。
ひとつには、札幌を中心とした道央の撮影地と夜行急行着地側の線区を組み合わせる、単純な利用。
もうひとつは、長距離転戦に組み込むパターン。これが本来の使い方か。
一日の撮影を終えての夕方以降、札幌から旭川の間のどこかに夜半前に辿り着ける列車に乗れれば、この区間で4方面のどの夜行急行にも乗り継げるゆえ、例えば、稚内あたりでの撮影から、ここを18時過ぎに発つ急行<礼文>に乗って、23時過ぎに旭川に到着(当時はこのスジだった)、札幌からの網走行き夜行<大雪>に接続し、翌日には常紋信号場や釧網本線へと転戦出来る。
士幌線を撮っていて、翌日の朝には幌延から羽幌線へ入ることも可能だったし、函館本線なら大沼にいても、札幌の夜行列車発車時間帯に十分間に合った。
宗谷本線の場合は、<礼文>の時間帯があまりに良すぎた故に自由度も高く、旭川で下り<利尻>と乗り継げば再び稚内へと舞い戻れもしたが、根室本線の釧路以東やオホーツク沿いの支線区からだと困難があった。

さらには、究極の「舞い戻り」である。
同一地区に連続して滞在を望む場合、深夜の上下列車の交換駅で、その上下を乗り換える強行策だ。ただし、ダイヤが上り到着と同時に下り出発のような設定があって、この場合はひとつ手前の停車駅で下車して待機することになる。80年前後の<大雪>がこれで、夏だったが、深夜の白滝で寒さに震えた記憶がある。
さらには、ダイヤが乱れると交換駅も変わる可能性があるゆえ、ゆっくり寝ていられない。変更駅が双方の停車駅なら良いが、運転停車での交換となればドアも開かず、「舞い戻り」失敗である。翌日の撮影計画を練り直さねばならず、それこそ寝ている場合でなくなったものだ。

岩内線の訪問は、函館からの夜行普通列車を早暁の小沢で下車することが多かった。
札幌から、そう遠くない距離ではあるが、同駅到着の夜行急行からの移動であると午前中を潰す故である。
函館山線ともども、道北や道東とは組み合わせ難い撮影地だった。

写真は、国富から小沢方に戻った丘陵の斜面からの俯瞰。針葉樹ではないから植林地とは思われず、果樹園だったのだろうか。何の幼木であるかわからない。
列車は、降雪の合間にやって来た927D岩内行き。先頭が急行<らいでん>崩れの札幌発、後ろの倶知安発と小沢で併結した姿。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor85mm/F1.8 1/250@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by CapturOne5 on Mac.


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