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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

谷地頭 (函館市交通局/宝来・谷地頭線) 1980

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管見であったのだが、函館は日本における中華そばの発祥の地らしい。
1884年の函館新聞に掲載された「養和軒」なる洋食店の広告に「南京ソバ-15銭」の品書きのあるのが根拠と云う。函館に最初の軌道系交通機関である亀函馬車鉄道の開通する15年程前である。
ただし、この南京ソバと現在に続くラーメンとの関連を示す資料は残されておらず、これを定説とするには至っていない。
当時の函館は、幕末に開港場に指定されて以来貿易港として発展し、東京より北で最大の都市であった。居留外国人も多く移り住み、ご承知のとおり、今函館西部地区観光の核心となっているのは、その遺産である。
中には、当然に華僑の人々も居て中華料理の早くから持ち込まれたのは、想像に難く無い。この「養和軒」を開いたのは、英国領事が函館赴任に際して横浜より同道した専属料理人であったことが明らかにされている。

この南京ソバがどのようなものであったか興味深い。広告には、洋食店として開店したこの料理店が、ソバばかりでなく南京料理全般を提供し始めたこと記述されている。南京料理と云えば江蘇料理の系統として野菜や海産物を使い、素材を生かした淡白な味付けで知られる。そのソバがそのようなものであって不思議はないだろう。
今函館で、支那そば、ラーメンと云えば塩味のそれである。青函連絡船食堂の名物であった海峡ラーメンもまた、同様であった。70年代の初め頃、この地でラーメンと注文して、どう考えてもタンメンと思われるソバの運ばれて来たことを思い出す。醤油ベースのそれでは無いのである。

2008年には、レシピ等の資料が無い中で、市内のラーメン店主や製麺業者らが当時の文献を検証して、この「養和軒」の南京ソバを最古のラーメンと銘打って再現し、以来市内の数店でメニュー化されている。残念ながら、まだ食したことは無い。

ここ、市電の谷地頭電停近く、通りを一本入ったところにも老夫婦の働く支那そば屋が在った。撮影歩きの際に偶然見つけて、その古く軒の低い造りに誘われて入ったのだった。その淡いスウプが気に入って、乗継ぎの合間に函館駅からタクシーを飛ばしたこともあったのだが、この後83年に訪れた時には既に店は閉じられていた。

写真は、暮色濃い谷地頭電停で発車を待つ2系統の駒場車庫前行き。十字街/函館駅経由の運転系統で、宝来町から谷地頭までは、この系統しか入らなかった。この頃、ここでの降車は撮影位置付近の安全地帯の無い路面である。
800型は、1962年から65年に12両が新製された新潟鉄工所製の自局発注車で当時の最新車である。都電や仙台市電にも良く似た車が居た。

[Data] NikonF2A+AiNikkor105mm/F2.5 1/60sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.

末広町 (函館市交通局・本線) 1977

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札幌市交通局の軌道線、所謂札幌市電は撮っていないのである。あまりに身近だったせいもあろうが、新参の撮影者には国鉄線上の蒸機の方が遥かに魅力的だった訳だ。それは、1971年10月には廃止が始まってしまい、内地から北海道通いをするようになってからの74年までは、一番魅力的に思っていた鉄北線が残っていたものの、札幌は道内各地を転戦する中継地で駅から外へ出ることも無く、結局撮らず仕舞いだった。今思えば惜しいことをしたものだ。

対して函館市のそれは、渡道初日や最終日に立ち寄って度々撮っていた。新設軌道(俗に言う専用軌道)の区間がある訳で無し、道路の中央を往くのは各地の路面電車と変わらぬのだけれど、本線の函館山麓となる元町/末広町付近や宮前線沿線、宝来・谷地頭線の急坂区間には、この街ならではのロケーションが散在していたからである。

この末広町から大町にかけての一帯は、函館西部地区観光の核心地域で歴史的建造物や観光施設が集積している。
写真は、八幡坂と基坂の間をひとつ市電通りから上った通り(弁天末広通り)を歩きながらのカットだ。背後は、旧英国領事館で、その坂上には旧函館区公会堂が建つ。
観光客が闊歩するそんなロケーションの中にも、らしからぬ光景があって、かつて金融街として栄えたこの地の実務的な残滓なのだろう。正面の建物は、旧日本銀行函館支店である。
2012年の現在、ここにはマンション用地となり、隣接地には函館市の運営する立体式の駐車場が建てられている。観光資源とマンションも、やはり相容れない。

全線が健在であった頃だから、通過する電車は3系統湯の川行きか、4系統の五稜郭駅前行き。主力であった500形の、これは510である。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f11 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.

函館ドック前 (函館市交通局・本線) 1980

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「鉄道屋」なので、駅を離れることはない。
いや、心象ではなく物理的に、である。

鉄道が移動手段の撮影行動だから、食事するにも、泊まるにせよ、買い物だって、出来れば駅で済ませたい。
せいぜい駅前。歩いても10分圏内。
だから、かつて在住し、仕事でも訪れる機会の多々あった札幌/小樽は別にして、旭川や釧路、北見/網走、苫小牧に室蘭などは何度も駅には降りているのに、その街は良く知らないのである。

ただし、函館は良く知っている。その街中に「線路」があるからだ。

函館は道内との行き来に必ず通るから、渡道初日や最終日を、その線路こと函館市交通局軌道線、通称-函館市電の撮影に充てることも多かった。
特に、函館山の山麓の本線や宝来・谷地頭線の沿線、西部地区と呼ばれる旧市街地には市電と組み合わせたい素材が至る所にある。早くに廃止されてしまったが、ガス会社前から五稜郭駅前への本線沿いの工業地帯然とした沿線も、国鉄からの引込線との平面交差が見られるなど印象が深い。
市街地ゆえ機材の大半を駅なり宿なりに預けての撮影は、いつもの緊張感とは異なる気分を楽しめたものだ。
それは列車ダイヤに縛られない開放感だったとも思える。

本線の起点、函館ドック前(現-どつく前)は、函館ドックの敷地目前で唐突に線路が終わる。(起点だから「始まる」のか)
そこには安全地帯も無い。

500形は戦後の製作になる車両で、この時点で車齢30年程。全30両が健在でまだまだ主力だった。
系統番号の3は、ドック前と湯の川を本線-宮前線-湯の川線と運行する系統であった。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.




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